人間は、世界についての批判的思考を身につけて以来、現実から幻想を切り離そうと試みている。プラトン(Plato)は、人間を洞窟の囚人に喩え、私たちは、壁に映る〈真〉の世界の影しか見ることができない、と説いた。仏教のある宗派によると、私たちは、仮想現実を〈ダルマ(法)〉と呼ばれる真理に投影しているらしい。ヴェーダ語の文献には、永続的な本質を曖昧にする、束の間の幻影を指す〈マーヤー〉という概念がたびたび登場する。
このように、数千年前から、人間は、表面的な幻想とその奥にある真実を分離する説を唱えてきた。しかし、こんにち、この類の話題は、高度なテクノロジーの文脈で語られる機会が多い。『マトリックス 』(The Matrix, 1999)、『ブレードランナー 』(Blade Runner, 1982)などのハリウッドの大ヒット作、さらにドラマシリーズ『ウエストワールド』(Westworld, 2016)の影響で、仮想現実が今までになく世間を騒がせている。
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技術がつくりだす仮想現実のアイデアがメインストリームに登場する数十年前、『あやつり糸の世界』(Welt Am Draht, 1973)が公開された。ドイツ人映像作家、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー(Rainer Werner Fassbinder)による、超大作SF叙事詩だ。
1973年、西ドイツで、2部構成のテレビ映画として放映された『あやつり糸の世界』の舞台は、近未来だ。サイバネティック未来予測研究所のフォルマー教授(Professor Vollmer)が謎の死を遂げ、コンピューター科学者、フレッド・シュティラー(Fred Stiller)博士が教授の後任として、研究主任に就任するところから物語が始まる。
フォルマー教授は、この研究所で、1万の〈アイデンティティ・ユニット〉が生活する世界をつくりだせる新世代のコンピューター、〈シミュラクロン〉を開発していた。この個体たちは、〈シミュラクロン〉がつくる仮構の世界に住んでいるとは知らずに、普通の人間と同じように暮らしている。人間の世界にそっくりな世界で、個体たちはカフェに出掛け、友人と過ごし、平凡な仕事に就いている。しかし、個体たちのアイデンティティが〈本物〉か否かは、明かされない。その答えの手がかりになるのは、秘書のグロリア(Gloria)がシュティラー博士に〈アイデンティティ・ユニット〉は人間か、と尋ねるシーンだ。
「好きに解釈すればいい」とシュティラーは答える。「私たちにとって、彼らは回路に過ぎない。だが、個体たちからすると、個体たちは私たちと同じように生きている」
「マイクロチップだらけの箱のなかの世界で生きていると?」とグロリア。
「生きているのは私たちだ」とスティラーは彼女の言葉を改める。「彼らは、私たちを愉しませる、テレビ番組の踊り子のようなものだ」
シュティラー博士は、〈アイデンティティ・ユニット〉をコンピューターがつくりだす電気インパルスに過ぎない、と切り捨てるが、仮想世界に足を踏み入れ、状況の複雑さを悟る。1万のなかでも、唯一、アインシュタイン(Einstein)という個体は、自らが仮想世界にいることを認識している。彼の存在によって、研究所の研究員は〈シミュラクロン〉の不具合への対応が可能になるのだ。あるとき、シュティラーは、〈シミュラクロン〉の故障と、ある個体の自殺未遂を調査するために仮想世界を訪ねたが、アインシュタインは、博士の前で突然取り乱し、〈本物の世界〉に連れだしてくれ、と懇願する。
シュティラー博士は、どうにかアインシュタインを宥めて、脱走を思い留まらせようとする。それと同時に、彼は、現実世界でも危機的状況に対処しなければならなかった。メディアが研究所の〈シミュラクロン〉の情報を嗅ぎつけると、世間では、研究の目的について憶測が飛び交っていたのだ。ある記者は、コンピューターが企業の利益のために悪用されていると確信し、シュティラー博士を問い詰めた。巨大な鉄鋼コングロマリットの指示のもと、未来の鉄鋼価格を予想するために仮想現実研究が利用されていることを、シュティラー博士はわかっていた。しかし、博士は、自らの地位を守るために、沈黙を貫いた。
それと同時に、シュティラー博士は、自らの生活の崩壊に気づき始める。幻覚や失踪など、奇妙な出来事を相次いで体験した博士は、前任者がシミュレーションの秘密を知っていたに違いない、と確信する。それは、博士が暮らす世界こそが仮想現実である、という秘密だ。『あやつり糸の世界』の第2部は、現実と仮想世界の境界が曖昧になる世界を舞台に、本格的なフーダニット(whodunit)作品に発展する。
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イーロン・マスク(Elon Musk)始め 、シリコンバレーの起業家たちが、私たちが住んでいるのは仮想現実なのか否か、そして、仮想現実から抜け出すにはどうするかを真剣に議論している。『あやつり糸の世界』が投げかけた哲学的、倫理的、政治的疑問は、まさに時代を先取していたのだ。
「『あやつり糸の世界』が、現実味を帯びてきました」とジェイ・シャイブ(Jay Scheib)博士。マサチューセッツ工科大学の演劇芸術の教授で、2012年、同作品を原案に、演劇を制作した。「私たちと科学、テクノロジーの関係が発展すればするほど、この映画の先見の明に気付かされます。この作品は、もはや、現実離れしたSFではなく、私たちの〈今〉を映す鏡になりつつあります」
シャイブ博士の意見を踏まえると、『あやつり糸の世界』が投げかける最も差し迫った疑問は、急発展を遂げたテクノロジーがいかに利用されるかだ。劇中、レポーターがシュティラー博士に〈新世代のコンピューター技術〉の恩恵を受けるのは誰なのか、と質問するシーンがある。博士は、「いわば全員だ」と答えるが、研究所を統括する彼の上司には、別の思惑があった。その上司は、数人の命を犠牲にしようとも、個人的な利益のために、〈シミュラクロン〉を利用しようと目論んでいた。
現代社会も同じような状況にある。私たちは、先例のないテクノロジーの進歩を目の当たりにしているが、その用途について、私たちは、ほとんど意見できない。最先端のヴァーチャル・リアリティーや量子コンピューターが登場しても、技術をいかに倫理的に利用するかについては、誰も深く考えない。ファスビンダー監督の映画が警告するように、私たちがテクノロジーの倫理的限界を考慮しなければ、悲惨な結末が訪れるだろう。
この世界が仮想だ、と誰かが気づけば、実存的な難問が生じる。シャイブ博士は、イーロン・マスク同様、哲学者のニック・ボストロム (Nick Bostrom)に感銘を受けた。彼の論文「Are You Living in a Computer Simulation?」(あなたはコンピューター・シミュレーションのなかに住んでいるのか)は、その答えがイエスだと示している。シュティラー博士や『あやつり糸の世界』の登場人物の大半は、この世界が仮想であるという事実によって、正気を失い、絶望する。しかし、シャイブ博士は、この発想にある種の魅力を見出している。
「『模造世界 』(1964年に出版された、『あやつり糸の世界』の原作小説)では、人間が仮想世界に住んでいる、という考えが宗教性を帯び、ある種の創世神話へと変化します」とシャイブ博士。「この世界が仮想だと知れば、私たちは、いくらか安心できます。少し気が楽になるはずです」
デンマーク人映像作家のクリスチャン・ブラード・トムセン (Christian Braad Thomsen)も、シャイブ博士に同意する。彼は、1969年のベルリン国際映画祭で大コケしたファスビンダー監督の長編処女作『愛は死より冷酷』を観たあとに、同監督と親しくなった。トムセン曰く、『あやつり糸の世界』は、同監督にとって唯一のSF作品だが、彼の並外れた、宇宙的皮肉と実存的不安を結びつける能力を証明しているという。
さらに、この作品には、ファスビンダー監督の映像制作へのアプローチがよく表れている。ワンシーンにつきワンテイクしか撮らないことで有名だった彼の仕事は、とにかく速く、私生活同様、評判が良くなかった。
「ファスビンダー監督の作品は、俳優の演技が不自然でぎこちない、とよく批判されました」とトムセン。「でも、彼は、〈自然〉という概念自体に懐疑的でした。彼は、人間の〈自然〉は子ども時代に完全に壊される、と信じていました。自然のままの人間などいない、誰もが人工の産物だ。これこそが『あやつり糸の世界』のメッセージです」
15年間で40本の映画を制作したファスビンダー監督のキャリアは、ある日、突然、悲劇的な終わりを迎えた。1982年、37歳のとき、ファスビンダー監督は、コカインの過剰摂取でこの世を去った。トムセンによると、ファスビンダー監督は『あやつり糸の世界』について多くを語らなかったため、この作品への彼の想いは、わからないという。同作は、ドイツでテレビ放映されるとまずまずの評価を得たが、米国では24年後、1997年まで公開されなかった。マスターは紛失した、と誰も疑わなかったからだ。
1990年代後半、シャイブ博士は、ベルリンでマスターの行方を突き止めるべく奔走した。唯一、入手できたのは、テレビ放映を録画したベータマックス・テープだけだった。幸いにも、その後マスターが発見され、2010年には、リマスター版がニューヨーク近代美術館で上映された。シャイブ博士曰く、『あやつり糸の世界』が製作から約40年後に再発見されたことで、作品のメッセージは、重みを増したという。
「『あやつり糸の世界』が再公開されると知り、本当に驚きました」とシャイブ博士。「70年代には、コンピューターがつくりだす仮想世界に住む、という発想は、誰にも受け入れられませんでした。でも、この10年で、そういった世界観への理解が深まるだけでなく、現実味を帯びてきました」