国から迫害を受けたマレーシアのトランス女性

マレーシアで最も有名なトランス女性のセレブ、ヌル・サジャットが、迫害を逃れるため国外逃亡を余儀なくされた体験を振り返る。
Nur Sajat
マレーシアを離れ、シドニーで「最高の人生を送る」自由を得たヌル・サジャット。PHOTO: COURTESY OF NUR SAJAT

現在オーストラリアで亡命生活を送っている、マレーシアで最も有名なトランスジェンダーのセレブ、ヌル・サジャット・カマルザマン(Nur Sajat Kamaruzzaman)には、もう2度と戻れそうにない祖国で自分を応援してくれているひとに伝えたいメッセージがある。

「あなたはひとりじゃないということ、それから世界はマレーシアで起きていることよりもずっと広く、素晴らしいものがたくさんあるということを知ってほしい」と36歳の彼女はVICE World Newsに語った。

「私はようやく自由と幸せを手に入れました。もう誰も私を支配したり、傷つけたりすることはできません」

2018年の宗教行事でピンクのドレスと花柄のヘッドスカーフを身につけたことをきっかけに、宗教官僚の標的となった彼女は、数ヶ月に及ぶネット上の嫌がらせに耐えたあと、今年はじめに国外へ逃亡した。彼女が亡命生活を送る今も、マレーシアの人びとは彼女のInstagramで嫌がらせを続けている。

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「私が欲しかったのは自由と安全、最低限の敬意だけ」と彼女はトランスジェンダー認知週間の直前に、新たな故郷となったシドニーからビデオ通話で訴えた。「自分の祖国でそれが手に入らなかったのは、とても悲しいことです」

「私が欲しかったのは自由と安全、最低限の敬意だけ。自分の祖国でそれが手に入らなかったのは、とても悲しいことです」

ムスリムが多数派を占めるマレーシアでは、イスラム教保守派の社会的影響が拡大し続けている。トランスの人びとは社会規範に逆らう〈異端者〉とみなされ、政府官僚や宗教指導者がトランスフォビアを煽っている。トランスコミュニティはいまだに公の場で差別や嫌がらせに直面し続けており、活動家は不寛容やヘイトクライムの増加を指摘している。

「マレーシアはいまだにトランスの人々にとって危険な場所です」とヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア局長代理フィル・ロバートソンは説明する。「この国が関心があるのは統制や権力の保持だけで、警察であろうと、地元の宗教官僚や自警団員であろうと、トランスの人々に対する嫌がらせを容認しています」

ロバートソン局長代理はサジャットの窮状について、彼女がオーストラリア政府に亡命を認められたにもかかわらず、マレーシア当局が引き続き彼女の強制送還を試みていることを非難した。

「マレーシア政府のヌル・サジャットに対する不寛容は、排他的で、偏狭で、人権を侵害するというこの国の本質の表れに過ぎません」とロバートソン局長代理は述べ、サジャットが1月に逮捕されたさい、マレーシア警察から性的暴行と脅迫を受けたという申し立てにも言及した。

「サジャットは、ただ単に当局の命令に背いただけではありません。彼女はマレーシアにおけるムスリムのトランスジェンダーへの先入観にも挑んだのです」

華やかなファッションと起業家精神で、SNSで多数のフォロワーを獲得したサジャットは、マレーシアで一躍スターの座へ上り詰めた。彼女は国内で複数のコスメラインや美容ライン、宝石店を立ち上げた。

トランスジェンダーのマレーシア人は、これまでも公の場で差別、脅迫、嫌がらせを嫌というほど味わってきた。サジャット自身も、トランスフォビアやミソジニーを乗り越えなければならなかった。彼女は自らの葛藤について、遠回しな表現はせず、率直に打ち明けた。

「マレーシアはトランスジェンダーにとって地獄です。私たちは存在しないことになっています」と彼女は訴える。「マレーシアでは本当の自分として生きることになんの意味もありませんでした。社会にも政府にも認められないのですから」

Instagramにセルフィーを投稿するたびに、彼女は「イスラム教をバカにしている」として侮辱や殺害の脅迫を受けた。

「『男に戻るべきだ』と言われたこともあります」とサジャットは打ち明け、1月に彼女が「服装倒錯」で法廷に引っ張り出され、議論を呼んだ出来事について振り返った。

「これこそが、多くのトランスの人びとが怯えながら暮らしている理由です」とサジャットはいう。「モスクで祈るのが怖いので、身を守るために家で祈るようにしています」

2月のサジャットの亡命を積極的に支援したNPO〈Justice For Sisters〉に所属するクィアの人権擁護活動家、ティラガ・スラティレ(Thilaga Sulathireh)は、彼女が「なんの保護も受けていなかった」と述べ、彼女のケースは「この国のクィアの人権の悲劇」を象徴していると語った。

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「彼女は社会の限界を押し広げ、トランスジェンダーとシス女性双方のガラスの天井を打ち砕きました。しかし、その代わりに脅迫を受け、常に宗教官僚から追跡されていました」とスラティレは説明する。

「サジャットの亡命によって、私たちの状況は少なくとも100年前に逆戻りしました」

スラティレによれば、マレーシアのトランスジェンダーを取り巻く状況はここ数年、悪化の一途をたどっているという。2018年、32歳のトランス女性が若者の集団に襲われて死亡した事件をきっかけに、コミュニティに対するヘイトクライムへの恐怖が広がった。事件の数週間後にはトランスのセックスワーカーが撲殺されたと報道され、クアラルンプールでは別のトランス女性が遺体で発見された。捜査の結果、警察はこの女性が移動車両から落ちて死亡したと結論づけたが、活動家たちは彼女が殺害されたと確信している。

さらに、宗教官僚や警察官が、男性の女装を禁止するシャリーア(イスラム法)施行の強制捜査中に逮捕されたトランス女性に身体的・性的暴行を加えたことも明らかになっている。

トランスの人びとの保護と権利尊重に関して、マレーシアは「まだまだ先が長い」とサジャットはいう。

「トランスの人びとは、決して多くを求めているわけではありません。私たちはただ尊重され、他のひとと同じように扱われ、他人に生き方を指図されたくないだけです」

「サジャットの亡命によって、私たちの状況は少なくとも100年前に逆戻りしました」

マレーシアを代表するトランスジェンダーの人権擁護活動家、ニーシャ・アヤブをはじめ、地元の活動家や第三者によれば、サジャットの件によって、マレーシアでトランスの権利を求める声が高まっているという。

「マレーシアのトランスコミュニティにおける彼女の存在は、公の場でLGBTにまつわる議論を生むきっかけとなりました。宗教指導者から強い反発があり、政治家が私たちの存在を消そうと躍起になっていることを思えば、これは極めて重要な変化です」と自らも政府による権利侵害と苦しみを経験してきたアユブはいう。

「私たちが直面する問題や私たちの存在を否定しても、なんの得にもなりません」と彼女は訴え、シスジェンダーの支持者が協力する方法を共有した。

「私たちは常に支援を必要としています。私たちの居場所を確保したり、問題や悩みに耳を傾けたり、私たちの存在を否定する宗教関係者に反対の声をあげるなど、シスジェンダーの人びとにもできることがたくさんあります」とアユブは説明する。「私たちが直面する問題を完全には理解できなくても、私たちが自分の体験を正直に語れる場があるということが重要なのです」

Watch: Surviving in One of the World’s Deadliest Places for Trans People

2021年9月、サジャットがマレーシア政府の要請によってバンコクで逮捕されると、国民の怒りが噴出し、彼女を支持する数千人がネット上で抗議した。海外で彼女の亡命受け入れを求めるオンライン署名も立ち上がった。

「私を嫌い、刑務所に入れたがるひとがいる一方で、私のことを知らなくても応援してくれるひとが大勢いました。そのことに心から感動しました」とサジャットはいう。「そのひとたちの応援があったからこそ、私は今自由になり、自分を偽ることなく、私らしく生きることができています」

サジャットのようなサバイバーにとって、安全な生活への道を切り拓くのは他者からの支援だ。彼女自身も「ひとりでは成し遂げられなかった」と語る。

「私は自分が持つ権利を知っていて、強力な支援ネットワークもありました。マレーシアから脱出することができて、私はとてもラッキーだったと思います」と彼女はいう。「だからこそ、マレーシアのすべてのトランスの人びとに、自分の権利を知ることの大切さを伝えたい。私の体験がトランスの人びとの励みになるように願っています」

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