「ダウンロードじゃわからない」「ストリーミングじゃわからない」はてさて、なにがわからないのだろうか? それは人からの言葉。RCサクセションもBLACK FLAGもジョン・コルトレーンもBUTTHOLE SURFERSもツェッペリンもMAYHEMもN.W.Aも、みんな誰かの口から聞いた。その音が好みだったのか、そうじゃなかったのかは置いといて、先輩だったり、クラスのヤツ、好きな異性、おしゃれな友達の言葉があったからこそ、その音楽に出会えた。辿り着けた。周りの大好きなみんなからの言葉だ。
そしてレコード屋も。カウンター越に矢の如く放たれる聞きなれないアーティト名、バンド名、ジャンル名。矢が心のど真ん中に刺さるたび、音楽がどんどん好きになった。ずっとカウンター前を陣取っていた。今考えれば、大迷惑だったろうに。本当にすいません。そう、ダウンロードでもストリーミングでも、レコ屋さんの言葉は聞けやしない。そんなプレイリスト見たことない。だからもう1回、言葉を聞きにいこう。今度は大人の話も。
Videos by VICE
§
第3回は、渋谷・宇田川町の〈next. records〉。今は亡きレコードショップ〈CISCO〉から名付けられた通称〈シスコ坂〉に店を構えている。オープンは2000年。そう、渋谷という街が〈レコードの聖地〉として、世界に名を轟かせていた時期だ。色取り取りのレコード袋を抱えたB-BOY。キャリーカートをガラガラと転がすDJ。放出日に行列をなすコレクター。そして彼らの空腹を満たす吉野家。間違いなく当時の渋谷は、レコードを中心に回っていた。
あれから18年。レコード屋さんの数は、少なくなってしまったが、〈next. records〉には、現在も大量のレコードと積み重なった段ボール箱、そしてレコードとお客さんを繋ぐ最強の絆光線がビュンビュンと放たれている。そしてオーナーの今本恒治氏は、『渋谷レコード店日記』をブログで連載し、あの頃から現在まで、ずっとずっとレコードへの愛を発信し続けている。
酸いも甘いも経験した今本氏が出迎えてくれた。
2000年から、お店を始められたんですよね?
はい。2000年の1月からです。でも、そのときはこの場所ではなく、もうちょっと坂を上がったところにある古いアパートでスタートしたんです。
この場所に移転されたのはいつですか?
2010年ですね。旧店舗は木造建ての2階にあったんですけど、レコードを積み過ぎて、床がへこんでしまったんですよ。大家さんに確認してもらったら、梁が折れていまして、応急処置はしてくれたんですけど、もう、そこからは怖くて、怖くて。レコード棚もグラグラ揺れていましたから(笑)。
めちゃくちゃ怖いですね(笑)。
〈木造 レコード 床抜け〉って検索したら、個人の方だったんですけど、実際に床が抜けた事故がヒットしたんですよ(笑)。それからは、お客さんが5人くらい来店されただけでもドキドキしていましたし、床が落ちる夢を何回も見ました(笑)。結局、建て替えることになったので、そのタイミングでこちらに移ったんです。
next. recordsさんは、〈12インチ・シングル〉の専門店なんですよね。
はい。さらにいうと、そこに〈中古盤〉と〈オリジナル盤〉という要素が加わります。
ということは、〈オリジナル12インチ・シングルの中古〉のみを扱っている専門店だと。
はい。そこはオープンから変わっておりません。
どうして、このような店舗スタイルになったんですか?
僕が12インチ・シングル好きだからです(笑)。中学生の頃なんですけど、曲がいっぱい入っているからって、それまではLPばかり買っていたんですね。でもある日、12インチ・シングルに出会いまして、「アルバムより曲が長い!」「アルバムと違う!」「音がいい!」って、ビックリしたんです。〈エクステンデッド・バージョン〉やら〈ダブ・バージョン〉、〈インストゥルメンタル・バージョン〉なんて、好きな曲が何種類もありましたから。でもさすがに中学生でしたから、そんなにお小遣いもありません。「お金が貯まったら買おう」ってノリだったんですけど、貯まった頃には、もうその12インチが売り切れている。アルバムは何回もプレスするんですけど、12インチは流行りの曲が中心なんで、ほとんど売り切ってお終いなんですね。「すぐに買わないと買えなくなる!」を知ってからは、12インチ中心の音楽生活になりました。
中学生の頃は、どんな12インチ・シングルを、どこで買っていたのですか?
僕は大阪出身なんですけど、当時は〈LPコーナー〉というお店に通っていました。YMO世代なのでKRAFTWERKとか、あとはニュー・ウェイヴ系の12インチですね。
12インチ・シングルの魅力にハマり、今度はその魅力を伝えようとお店を始めたんですか?
いえ、本当に普通のリスナーでした。ただ、僕の友達のお兄さんが、究極のレコード・コレクターで、海外までレコードを漁りに行くような人だったんです。そのお兄さんが、今の僕の相方と大阪でレコード屋を始めまして、その後お兄さんは英国に移り、仕入れ担当としてレコードを店に送り続けていたんです。そんなにお客さんがついている店ではなかったので、どんどんレコードは溜まっていく。いいレコードはあるんですけど、まったく捌けないので、困っていたそうなんですね。ただ、たまに東京から来るお客さんは、そのレコード店で大量に買っていくんですよ。既に東京はDJブームが来ていたんです。それで、「これは通販をやるべきだ」という結論になり、「通販作業を手伝ってくれないか?」って僕も誘われたんです。
そのとき、今本さんはなにをやられていたんですか?
普通の会社員です。広告のデザイナーをやっていました。なので、音楽雑誌のremixに掲載する通販広告や、通販リストを僕がつくるようになったんです。
返信用切手を同封して〈通販リスト希望〉って送るヤツですか?
そうです(笑)。インターネットなんてありませんでしたから。でも物凄く反響があったんです。当時は本当に情報がなかったので、「こんなレコードが世の中にあるのか!」ってみんな飢えていたんですね。物凄く売れまして、「やばいぞ、コレ!!」と大騒ぎになりました(笑)。
そのお店は、どんなレコードを扱っていたのですか?
レア・グルーヴ人気の頃だったんで、ファンク、ソウル、ジャズ、そしてヒッホップなど、いわゆる黒系のものですね。もちろんLPも扱っていました。そのあと、本格的に大阪にもDJブームが来まして、特にヒップホップの12インチが、飛ぶように売れるようになったんです。だから、それまで通販リストは、2、3ヶ月に1回だったのですが、毎月つくるようになったんです。
そのとき今本さんは、まだデザインのお仕事をやっていたんですか?
はい。でも毎月リストを発行するようになってから、そのギャランティーも増え、さらに僕が所有しているレコードも委託販売できるようになったので、会社の給料よりも、こっちの収入のほうがデカくなったんです。本当に凄いDJブームでしたから。「これ、やばいなぁ」ってずっといってました(笑)。
それで今本さんも旨味を知り、「じゃあ自分でもレコード屋をやろう!」となったんですか?
いえ、まだです(笑)。まず、英国に移っていたお兄さんが帰ってきたんですね。それで、もうひとりの相方は、暖簾分けみたいな形で、渋谷店をオープンさせたんです。いっぽう、大阪店も規模が大きくなり、スタッフも増えたので、僕の手伝いもそこで終わり、普通の会社員生活に戻ったんです。ただ、1年後くらいに渋谷店の彼から連絡がありまして、「とてつもなくしんどい」と。年12回ぐらい買い付けに行かないと追いつかない。買い付け商品を出したら、その週だけですべて売れ切れてしまう。だから、またすぐ行かなきゃならない。その繰り返しだと。
完全にレコードバブルの時代だったんですね。
はい。「売るな! 出すな! また行かなくてはならなくなる!」とスタッフの子にいっていたらしいですから(笑)。それで、彼が買い付けに行っているあいだ、店をちゃんと任せられるスタッフが必要になり、そこで僕に声がかかったたんです。また渋谷店は、既に12インチがメインの店になっていて、大阪店とは内容も値段も異なってきていたので、「どうせだったら、新しい店にしよう」と。
遂に今本さんのレコード屋人生がスタート!
はい。その渋谷店を閉め、別の物件を探して、その相方と共同経営で〈next. records〉をオープンさせました。
それが、例の床がへこんだお店ですか?
はい(笑)。
そのとき今本さんは、おいくつでしたか?
32歳ですね。
やはりバブルもあって、当初からバカ売れでしたか?
そうですね。オープン準備をしている時点で「レコード屋ですか? いつオープンですか?」なんて、何回も訊かれて。ほとんど宣伝もしていなかったんですけど、外にスピーカーを向けて、ヒップホップを流すだけで、どんどんお客さんが入ってきました。
本当にすごい時代ですね!
近くに〈マンハッタン・レコード〉さん、〈CISCO〉さん、そして〈DMR(DANCE MUSIC RECORDS)〉さんもありましたから、流れができていたんですね。当時は1月2日が初売りのレコード放出日だったんですけど、本当に凄かったですよ。まず、マンハッタンさんのお客さんが坂の上の小学校まで行列をつくり、その逆の流れでCISCOさんの行列もできていましたから(笑)。
あの頃は、やっぱり異常でしたか?
今考えるとそうですけど、当時はそれが普通だったんです。特にウチはオリジナル盤専門なので、どこにも売ってなかったんですね。例えば12インチ1枚5000円って高いじゃないですか。でも今ここで買っておかないと、お客さんもいつ買えるのかがわからない。だからどんどん売れていましたね。
マンハッタンとかCISCO、DMRでは買えなかったんですか?
はい。あちらは新譜がメインでしたから。ただ、そのあとウチで売っているようなオリジナル12インチの再発盤ブームが来て、新譜として出回り始めたんですね。ただ、再発盤とはいっても、勝手にプレスしていたり、ちゃんとライセンスされていないものだったり、どう見てもオフィシャルで再発されていないレコードばかりだったんです。正規盤じゃないから、マスタリングもきちんとしていない。音が悪いレコードも多かったんですけど、お客さんは知らないまま、どんどん買っていましたね。
オリジナル盤で勝負されているnext. recordsさんにとって、その再発ブームは、とても痛かったのではないですか?
そうですね。違いをお客さんに伝えようとブログを始めたりもしたんですけど、やはり安いものには勝てませんでした。さすがにちょっとイライラしていましたね(笑)。
ただ、そのレコードバブルも終焉を迎えます。象徴的だったのが、CISCOの閉店です。2007年でしたっけ?
そうですね。閉店した日のことはとてもよく覚えています。「ありがとう、CISCO! さようなら、CISCO!」って、たくさんのお客さんが叫んでいました。僕は店の窓からその様子を眺めていましたね。
続いてDMRもレコード販売をやめて、音楽アクセサリー屋さんになりましたよね。
はい。マンハッタンさんも規模を縮小されて。
そんな厳しい状況のなか、next. recordsさんは、どうだったんですか?
もちろん売上はすごく下がったんですけど、紙のリストをやりつつ、WEBサイトでの通販を進めていたんです。他のお店さんよりも早い時期からやっていたので、そこにうまく乗れました。
通販サイトは、業者に頼んでつくったんですか?
いえいえ、そんなお金もありませんでした。一度見積もりを出したら、何百万とかいわれて(笑)。ですから、全部勉強して、自前でつくったんです。
とても大変な作業だったんじゃないですか?
はい(笑)。まず、やるなら全在庫の試聴ができないと意味がないと考えていたので、1枚1枚録音しました。とにかくお客さんが簡単に購入できるように、試行錯誤しながらつくったんです。負荷がかかり過ぎるので、レンタルサーバーから「出て行ってくれ」なんていわれたこともありましたけど(笑)、なんとか軌道に乗りました。
それではレコードバブルが崩壊しても、それほど不安にならなかったと?
いえいえ、そんなことありません(笑)。めちゃくちゃ不安でしたよ。周りのお店もどんどん閉店しましたし、それにあんなにたくさんいたはずのレコード袋を持った人たちが、渋谷から急にいなくなったんですから。ただ、通販サイトに関しては、本当に細かくやったのが大きかったと思います。最初からジャケットもきちんと載せて、コメントもちゃんとつけて、データも取って。再発ブームに文句をいおうと始めたブログも、気がつけば10年続いております。こちらから外に向かってなにかをしなければ、という気持ちが大きかったんですね。やっぱり必死だったんだと思います。
現在も買い付けに行ってらっしゃるんですか?
いえ、2010年を最後にやめました。
それはどうしてですか?
まず、レコード・ブームが去って、全体的に日本のレコードの相場が下がってしまったんです。ピーク時の5分の1くらいの値段になったものもあります。そうなると、買い付けで仕入れたレコードも高値で出せません。さらに買い付けには経費がかかります。渡航費、滞在費、輸送費などを考えたら、割りが合わなくなってしまったんですね。また、全世界的にレコードの価格も均一化してきて、海外でも高くなってきたんです。やはり買い付けは、良いものを安価で何枚買えるかにかかっているので、買えなかったら意味がない。特に枚数を稼がないと、商売になりません。1回行ったら最低でも1000枚は必要になってくるんです。手ぶらで帰国するわけにもいかないので、そんなリスクを考えたら、もう買い付けには行けなくなりましたね。
これまで手ぶらで帰国されたこともありましたか?
さすがにそれはありませんけど、本当に買い付けってプレッシャーがかかるんですよ(笑)。うちの相方なんて、買えない夢ばかり見ていたそうです。僕が空港で仁王立ちしていて、「どれくらい買えた?」「えっと、カバンふたつ分」「なにやってるんだ!」って怒られるという(笑)。
笑っちゃいけないですけど、リアルな夢ですね(笑)。
僕は、英国でよく買い付けしていたんですけど、高いレア盤とか発見するじゃないですか。オーナーなのに「これ買っていいのかなぁ。みんなに怒られないかなぁ」とか(笑)。
はい(笑)。
いいものが見つからなかったら、今度は枚数作戦に切り替えるんですけど、店に在庫が5枚あるレコードなのに、枚数を合わせないといけないから、更に買ってしまうんですよ。案の定、店で怒られます(笑)。
では、買い付けをやめて、現在の仕入れはどうされているんですか?
ひとつはディーラーからですね。各国に何人かおりまして、都度リストが送られてくるので、そのなかから欲しいものを買っております。あとは買取も始めました。
でもこれまでは買取をやられていなかったんですよね? そのお客さんを集めるのも大変だったのではありませんか?
最初は、ウチでこれまで買ってくれたお客さんに訊いて、要らないものがあったらお願いしていました。鮎の放流じゃないですけど、稚魚を流して、また戻ってきたみたいな。
うまい(笑)!!
でもやはり良品なので、なかなか売ってくれないんですよね。それもあって、サイトでも買取の告知をして、一般のみなさんからも募るようになりました。
でも、オールジャンルの中古店ではない。〈12インチ・シングル〉と〈オリジナル盤〉のルールをクリアしなければならない。なかなか集まらないのではありませんか?
そうですね。なかなか欲しいものは入ってこないですね(笑)。ただ、依頼はすごく多いんですよ。レコードブームがあったじゃないですか。その頃買いまくっていた方が、現在処分されているんです。
なるほど! マンハッタンとかCISCOで買っていた12インチですね。
ただ残念ながら、その辺のレコードが今1番売れないレコードなんです。いつかは陽の目を見るんじゃないかと、買い取るレコードもあるんですが、店には出さないで、今は倉庫でその日を待っております。ですから事前に内容を確認したり、厳しいものはお返ししていますね。「じゃあ、どこだったら買ってくれますか?」ってよく訊かれるので、ディスクユニオンさんとかレコファンさんとかをおすすめするんですけど、最近は、大手さんもこの辺のレコードを買い取っていないそうなんです。逆に「ユニオンに紹介されて、next. recordsに売りにきた」ってお客さんもいるくらいです(笑)。
先日、若いDJの方とお話しする機会があったのですが、もうレコードを使わず、USBだと訊きました。レコードでプレイするDJのほうが少ないともいっていたのですが、そんな状況もnext. recordsさんに大きな影響を与えたのではありませんか?
確かにDJのお客さんは減りました。ただDJブームの頃からそうなんですけど、ウチを支えてくださっているのは、12インチ・シングルのコレクターさんなんです。
そうなんですか! ダンスミュージック系DJの方がメインのお客さんだと思っていました。
結構みなさん、そう思ってらっしゃるんですけど、まったくそうじゃないんですよ(笑)。ですから、今はロックの12インチとかも混ざっています。
確かにPINK FLOYDが飾ってありますね!
THE CLASHもありますし、ホイットニー・ヒューストンの踊れないバラードとかもあります。やはり12インチ・シングルは、LPに比べて音が良いので、その辺もコレクタブルな要素になっているんです。
さて、昨今のレコード・ブームの影響はありますか?
ないような気がします(笑)。やはり中古レコードって微妙なんですよね。売れるのがわかっていても、欲しいといわれても、そのレコード自体が無い。新作や再発盤だったら、何枚もありますけど、ウチのレコードは1点ものが多く、補充できないので、ブームのような状況にならないんです。同じレコードがたくさん売れないと、ビジネスにもなりませんからね。でも外国からのお客さんは確実に増えましたね。それもNASとかノトーリアス・B.I.Gとかを買っていく。「そんなの向こうにあるだろ」って思うかもしれませんが、日本の方が値段も手頃だし、コンディションも良いんです。
やっぱり国内外問わずコレクターさんが多いんですね。年齢層はどれくらいなんですか?
40代くらいの男性客が1番多いですね。
若いお客さんも来られますか?
来ますけど、本当にたまに(笑)。ただ若い人には、12インチ・シングルなんて概念が無いですから、そこから伝えなければなりません。LPがあって、12インチがある。さらに7インチもあるんですよ、って。
そうなんですね(笑)。
さらに12インチ・シングルの魅力を伝えます。音がいい、長い、バージョンがいっぱいある。そして、オリジナル、再発、ブートレグの違いとかも教えます。でも、だいたい「このオッサンは、なにをいってるんだろう?」って顔になりますね(笑)。
(笑)。そんななか、前途有望な若いお客さんとかいらっしゃいますか?
今、ひとりいますね。地方から上京してきた学生なんですが、まずは12インチの練習したほうがいいと、彼にはいっています。
12インチの練習(笑)?
はい。とにかく音を聴いて、選曲眼を磨いて、好きなプロデューサーとか、リミキサーを見つけるべきだと。ただ、お金がかかるので、レコファンさんの100円コーナーで練習するように指導しております。
おもいっきり他店ですね(笑)。
いつかウチで買ってくれる日を楽しみにしています(笑)。
18年もやってらっしゃると、シーンの傾向とか、売れ筋商品とか、わかってくるんじゃないですか?
いえいえ、まったく(笑)。本当に行き当たりばったりで、今も課題が山積みです。例えば、内容はいいんだけど、ずっと〈S〉のコーナーに埋もれていたレコードがあります。それがなにかのきっかけで売れたとします。それと同じレコードが再入荷したら、今度は〈NEW ARRIVALS〉のコーナーに入れるんですけど、やはり1番見られるのは、そのコーナーなので、試聴されて買うお客さんが現れるんですね。そこで埋もれていたレコードが回転し始めるんです。でもこれって、単純に僕たちのレコードの紹介の仕方がハマっていなかっただけなんです。サイトでも同じです。〈NEW ARRIVALS〉をチェックして、そのあとは〈A〉、〈B〉、〈C〉と続く。どんどんカートに商品が溜まっていくので、結局そこで精算しちゃって、〈S〉とかにたどり着かないんです。その辺の埋もれたレコードの見せ方が今後の課題ですね。
現在も通販の売り上げは順調ですか?
そうですね。完全に店の売り上げを超えました。店では、5万円分買うようなお客さんなんて、ほとんどいないんですよ。なぜなら、店だと試聴するのにも手間がかかる。1枚1枚レコードを出して、いちいちターンテーブルに乗せなきゃならない。でもネットなら、クリックするだけですぐ聴けるし、色々と調べることもできる。お店のほうが、レコードの良さをアピールできていない状況なんです。その辺は正直ちょっと悔しいですね。やっぱり僕もレコード屋さんに通って、お店の人と話すのが楽しみでしたし、パタパタしながら、プロデューサーのクレジットをチェックするのが好きでしたから。
お店をやめることは考えてらっしゃいませんか?
家賃が払えなくなったらサイトに特化しようかなとは思っていますが、今は、効率よく店を続けていくほうを考えています。例えば、相方には反対されているんですけど、レコードをエサ箱に入れて出すんじゃなくて、全部棚にして、縦向きで入れてしまうとか。そしたらもっと在庫を店頭に出せるわけです。まぁ、お客さんの腕がパンパンになっちゃうのでやりませんけど(笑)。あとは、レコードを全部バックスペースにしまい、入り口にパソコンを並べて、サイトから試聴をしてもらい、欲しいレコードがあったら、その在庫を出して販売するとか。
すごいアイデアですね!
でもそこまでいっちゃうと、本当に店が要るのかと(笑)。
確かに(笑)。
実際、レコードを買うために、わざわざ渋谷に来る人は少なくなっています。三軒茶屋、代々木などにお住いでも通販されるぐらいですから。
ああ、前回の〈Reggae Shop NAT〉さんも同じことをいってました。
お客さん自身が、店に行くメリットを感じてらっしゃらない気がするので、本当にそこは複雑ですよね。
渋谷は〈レコードの聖地〉だったのに。移転とかは考えていないのですか?
考えていません。どこに行っても今は同じだと思いますし。ただ、渋谷から大量のレコードが売られていたのは事実ですから、今も同じ場所にあり、更にそこで買取をしていることに大きな意味はあると思います。
〈next. records〉さんを、今後どのようにしたいと考えてらっしゃいますか?
先ほどの埋もれていたレコードの話に通じるんですけど、欲しているお客さんに、確実にそのレコードを届けていきたいですね。なにかしらの細工をすれば、世界中にひとりしかいないお客さんにも、確実に音が届くようなシステムがあればなぁと。あとは、夢みたいな話なんですけど、日本中のレコード屋さんから、馬鹿デカイ倉庫にレコードを集めて、完全データ化して、一括発送するような…アマゾンみたいな感じですけど、そうなったら、欲しいお客さんに確実に届けられるんじゃないかなって。
Discogsを凌駕するようなのを期待しています!
まぁ、Discogsのあとにでも来てくだされば(笑)。〈next. records〉っていう名前も、相方と僕の次のステップという意味でもあり、ルーツである大阪の次の店という意味でもあるんですけど、マンハッタンさん、CISICOさん、DMRさんで買ったあと、ついでに寄ってください、という意味もあったんです。僕たちは大阪から来た後発者でしたから。
それが今では、渋谷の老舗になりました。
不思議な感じです(笑)。さすがにダンボールを運ぶのは体力的にキツくなりましたが(笑)、まだまだ続ける予定ですので、Discogsやヤフオクに無かったら、次はぜひウチに来てください。
next. records
〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町11-11 柳光ビル本館2F
tel:03-5428-3501
営業時間:13:00~20:00
§