今年、公開30周年を迎える『プレデター』を振り返り、なぜこの作品がそんなにまで批評家たちに嫌われたのかについて検証してみたい。
私たちは頻繁に、〈〇〇年代〉という括りで文化を語るが、その区切り方は、1年が1月1日に始まり12月31日に終わるのとは違い、かなり恣意的だ。例えば、60年代といえば1964年に始まり、1969年12月6日の悲劇的なオルタモント・フリー・コンサートにて幕を閉じるものである (あるいは、テレビドラマ『マッドメン』(Mad Men)のドン・ドレイパーでもお馴染み、ヒッピー文化を小馬鹿にしたかのような1971年のコーラのCMで終わったともいえる)。’80年代といえば、1979年にBLONDIEの「ハート・オブ・グラス」、THE KNACKの「マイ・シャローナ」両曲のナンバーワン獲得に始まり、1987年10月19日の株暴落によって終わった。
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1987年の変遷は、経済面だけにとどまらない。1986年にどんな作品が生まれたか振り返ろう。『トップガン』(Top Gun)、『フェリスはある朝突然に』(Ferris Bueller’s Day Off)、METALLICAの『メタル・マスター』(Master of Puppets)、ボン・ジョヴィの『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』(Slippery When Wet)などなど。一方、1988年には、『ダイ・ハード』(Die Hard)、『ロジャー・ラビット』(Who Framed Roger Rabbit)、 N.W.A.の『ストレイト・アウタ・コンプトン』(Straight Outta Compton)、そしてトレイシー・チャップマン(Tracy Chapman)が登場した。これらの事実から、90年代への布石はわずか2年足らずの間に準備されたのが明らかになる。そして、たっぷりのヘアジェル、ギラギラしたシンセサウンド、控えめな暴力描写などの要素は、時代に取り残されていった。
こうした時代と時代の狭間にあるのが『プレデター』(Predator, 1987)だ。
大規模な予算を投じて製作された『プレデター』が公開されたのは、今から30年前。つまり、ブラックマンデーの起こる4か月前、ジェームズ・キャメロン(James Cameron)の『エイリアン2』(Aliens)がR指定SF映画の常識を打ち破って最大級の商業的成功を収めた1年後である。『プレデター』は『トップガン』と並んで、80年代を語るには欠かせない映画だ。スターウォーズのあからさまな模倣、中央アメリカで繰り広げられるイラン・コントラ事件* を意識したゲリラ戦、そして、不釣り合いなMTVのTシャツを着て大きなガトリング銃を撃ちまくる元プロレスラー、ジェシー・ベンチュラ(Jesse Ventura)の迫力あるシーンなどが、この作品の主な見どころだ。
だが同作品は、SFブームにも乗り遅れ、結果として主要新聞の批評で散々こき下ろされてしまった。ニューヨークタイムズ紙はプレデターを「恐ろしさと退屈さが交互に訪れ、驚く場面もほとんどない映画」と酷評し、ロサンゼルスタイムズ紙は「これまで大手スタジオで創られた映画の中でも最も空虚で、内容に乏しく、独創性のない脚本のひとつ」と批評している。ワシントンポスト紙の物言いはなかでも特にひどい。『プレデター』という映画そのものを中傷しながら、「正直いって、ゴキブリの方が怖い」と貶している。どうやら批評家たちは、80年代の終焉が宣言される以前から、80年代に見切りをつけていたようだ。
しかし、『プレデター』の名声は徐々に高まった。映画公開時のレビューの統計をとった〈Metacritic〉では、36点という散々な評価であったが、近年のレビューも踏まえた〈Rotten Tomatoes〉のトマトメーターでは78%、オーディエンススコアは87%、更に〈IMDb〉でも10点満点中7.8という高評価を獲得している。最近になってプレデターは〈映画史に残る傑作〉と評され、ローリングストーン誌の読者投票による〈アクション映画ベスト10〉では、『レイダース/失われたアーク』(Raiders of the Lost Ark, 1981)や『マトリックス』(The Matrix, 1999)よりも上位にランクされている。
流行に乗った作品は、公開時の反応が良くても、後々、時代遅れになりがちだ。例えば『マトリックス』は、その革新的な視覚効果や「目覚めよ、子羊たち」といった啓発的なメッセージが当時は評価されたが、こういった要素は、今では時代遅れな感じを拭えない。特に、そのメッセージに関しては、後々になって考えてみると実にひどいものだ。
『プレデター』は、逆もまた然り、という事実を証明したといえる。だが、当時の批評家たちは、アーノルド・シュワルツェネッガー(Arnold Schwarzenegger)や、自動機関銃を背負う単細胞なキャラクターたち、エキゾチックなジャングル、地球圏外などのシーンを、何回も観させられすぎていたのだろう。’87年になると、例えその映画の完成度がどれほど素晴らしかろうが、〈マッチョな男が暴れるアクション/SF〉というジャンルは、否応なく観客の拒絶反応を引き起こすようになっていた。
革新的、あるいは、埋もれた傑作、とされる類の映画は、時代を先取りしていたためにそう評されるが、『プレデター』の場合、時代の流行から少々遅れてしまっていたため、人気を獲得できなかった。『ステイ・フレンズ』(Friends with Benefits, 2011)や2015年版『スティーブ・ジョブズ』(Steve Jobs)は、その双子ともいえる作品『抱きたいカンケイ』(No Strings Attached, 2011)、2013年版『スティーブ・ジョブズ』(Jobs)より優れていたのだろうか、と問われれば答えは、イエス。しかし、趣向を同じくする映画が数か月前に公開されたせいで、インパクトは確実に薄れてしまった。
『プレデター』の核にある、とにかく男臭い要素は、それまでの大ヒット作と共通しており、特別に〈革命的〉だったわけではない。しかし、『プレデター』は同時代の他作品よりも先見の明があったし、ことによると、先進的ですらあった。
*『プレデター』には、俳優から州知事に転身しようとしたシュワルツェネッガー、ベンチュラ、そしてソニー・ランダム(Sonny Landham)の3人が見事に集結している。シュワルツェネッガーとベンチュラは、カリフォルニア州とミネソタ州の州知事になったが、ランダムはケンタッキー州での選挙に、現在のところ3回出馬して全て落選している。
*あるシーンでシュワルツェネッガーは、侮蔑の意味で〈消耗品 (エクスペンダブル)〉と呼ばれている。これがきっかけとなって、シルベスター・スタローン(Sylvester Stallone)の『エクスペンダブルズ』(The Expendables)シリーズの構想が生まれた。
*驚くべきことに、『プレデター』に登場する透明なアーマーは、現実に開発されようとしている。
*政府と軍への不信がこの映画の隠れたテーマであるが、レーガン政権時代に製作された事実を考えれば、とても急進的だったといえる。
*ソニー・ランダムの演じるキャラクターは、ネイティブアメリカンの追跡者のステレオタイプかもしれないが、演じているランダムは実際にインディアンの血を引いている。同じくインディアンを演じたジョニー・デップ(Johnny Depp)に教えてやりたい。
*最も堪え難いふたりのキャラクター、シェーン・ブラック(Shane Black)演じる女嫌いのホーキンスと、ベンチュラ演じる同性愛者嫌いのクーパーが真っ先に殺されるのも良い。
1987年には、人種の垣根を越えた刑事ドラマ『リーサルウェポン』(Lethal Weapon)が公開されているが、それ以上に『プレデター』こそが、未来をより正確に予言していたなどと考えた人は皆無であろう。『リーサルウェポン』でのメル・ギブソン(Mel Gibson)が銃口を自分の口に突っ込むシーンには、胸が張り裂けそうになったものだが、人種差別発言をした彼のこのシーンが、いつの日か現実になればいいのに、と期待するようになるとは夢にも思わなかったはずだ。
『プレデター』が公開当初に酷評されたのは、間違った場所で間違ったタイミングに公開された大作映画、という稀なケースだったからだ。こういった現象は、どちらかといえば、一般的に音楽業界で起こりうる。トレンドの移り変わりは早いが、業界全体は大金をかけて何年も温めたプロジェクトをゆっくりとしたペースで実行しながら成長する。『プレデター』は、SFアクションというジャンルで塗り固められてしまった80年代という時代が終わりかける頃に登場してしまった。そのため、『ターミネーター』のシュワルツェネッガーが出てきたころから、同ジャンルにうんざりしていた批評家たちによって、『プレデター』は憂さ晴らしの対象に選ばれてしまったのである。