なぜ「ゲーマー」は人種差別や性差別的な行動をとる傾向があるのか研究結果が出た

「ゲーマー」というアイデンティティを中心に生活全般を築いている人ほど、過激な行動に出やすいことが新しい研究で明らかになった。
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translated by Ai Nakayama
Tokyo, JP
ゲーマー, オタク, ゲーム, テレビ, ADHD
Image via Getty.

新しい研究によると、自らを「ゲーマー」であると強く自認するひとは、人種差別、性差別、またどんな犠牲を払ってでも自らが属するコミュニティを守るなどといった「過激な行動」により走りやすいそうだ。

有害性や先鋭化は、ビデオゲームコミュニティの一部を悩ませる問題として以前より知られていたが、そのメカニズムは充分に解明されていなかった。新しい研究では、「ゲーマー」というアイデンティティがその人の生活にいかに強力に染み込んでいるかを知ることが、その理解の鍵になると示唆されている。

「ゲーマーとしてのアイデンティティが自分という人間の中核となっている場合、それは我々が〈有害なゲーマーカルチャー〉と呼ぶものを映しているようであり、受け入れることよりも排除すること、すなわち人種差別や性差別、ミソジニーなどを示す傾向にあります」。VICE Newsの取材にこう答えたのは、ゲーム業界にメンタルヘルスの情報を提供している非営利団体Take Thisの研究部長で同論文の著者のひとり、レイチェル・コワート(Rachel Kowert)博士だ。「それらはすべてゲーム空間のなかに存在することがわかっていますが、そのコミュニティの一部であると非常に強く認識しているひとたちにより内面化されているようです」

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ただし、これは数十億人規模のゲームコミュニティにわずかに存在する有害な部分を指しているにすぎないことは留意すべきだろう。ゲームコミュニティのなかには、肯定的なコミュニティ、プラスの要素が多くある。とはいえ、過激派、特に極右の人々の一部は、ゲームコミュニティを仲間の勧誘の場として使用している。PCゲームプラットフォームのSteamやDiscordなどが、白人至上主義者たちに人気の場所になっていると明らかにした研究もある。これまでゲーム業界はこの問題に積極的に取り組もうとはしてこなかったが、その姿勢が徐々にではあるが変わりつつあり、ミソジニー反対を訴えるゲーム会社も現れはじめている。

そもそも「ゲーマー」という言葉も、これまでコミュニティのなかで論争の的になってきた。この言葉はしばしば有害なゲートキーピングに用いられている。一部のひとにとっては「ゲーマー」とはPCでプレイしているひとたちのことを指し、また別のひとにとっては、マルチプレイヤー対戦ゲームをプレイする人のみを指す。それ以外にも、イージーモードでプレイしているひとは「ゲーマー」ではないなど、さまざまな定義がある。多くのひとにとって「ゲーマー」とは排他的な言葉であり、最近のゲーム業界において大きな話題となっている問題だ。

本論文のために行われた3つの調査で、研究者たちは回答者に自らをゲーマーであると定義することを認め、その概念の定義は提示しなかった。本研究はコワート博士、テキサス大学オースティン校の心理学教授ビル・スワン(Bill Swann)博士、そして心理学博士課程の学生アレキシ・マーテル(Alexi Martel)により実施され、学術誌『Frontiers in Communication』に掲載された。3つの調査それぞれでビデオゲームをプレイする数百名を対象とし、ゲーマーの考えを分析した。コワート博士は、この研究を理解するためには「アイデンティティ・フュージョン」という概念をわかっていなければならないという。アイデンティティ・フュージョンとは、ひとつのアイデンティティが人格を決定づけるほぼ唯一の特徴となってしまい、その人の生活のあらゆる面に浸透している状態と定義づけられる。

「私たちは個人のアイデンティティと社会的なアイデンティティを持っています。私はレイチェルで、女性で、ゲーマー。『ウィッチャー』シリーズが好き。それが私の社会的アイデンティティであり、それらは別個のものです」とコワート博士。「アイデンティティ・フュージョンとは、社会的アイデンティティ、個人としてのアイデンティティが融合してしまい、切り離すことができなくなっている状態です。融合が進むにつれて、より過激な行動へと走りやすくなります」

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コワート博士は、長年軍に所属していたというアイデンティティが生活のあらゆる面に浸透し、「兵士の自分」と「父親の自分」がほとんど一致してしまったダグというひとを例に挙げた。このようなアイデンティティ・フュージョンを経験したひとは、「過激な集団行動」に陥りやすい。

ゲーマーのなかには、コミュニティに参加するためにビデオゲームに向かうひとたちもいる。彼らの人生の別の場所では、そういったコミュニティが欠けているのかもしれない。そして彼らは、ゲームの世界のなかで強い絆を結んでいく。同論文のなかで、著者たちはそれを「諸刃の剣」と呼んでいる。というのも、コミュニティを得ることはゲーマー本人にとっては良いことになりうるが、それにより彼らが有害性やヘイトスピーチなどに触れる可能性もあるからだ。最悪の場合、「過激な思想に引き込まれ、先鋭化への道を歩むことにつながる」ひとも出てくるだろう。

ゲーム業界のなかには、コミュニティ内の有害な行動や過激思想の問題に取り組もうとする動きもある。ゲームは、暴力的な過激主義に対抗する有効なツールとしても用いられてきた。特に教育現場において、オーダーメイドの「シリアスゲーム」が活用されている。このジャンルのなかでも有名なのが『Decount』。プレイヤーはこのゲームのなかで、ISISや極右の過激派メンバーが先鋭化していく過程を体験する。

あらゆる巨大なコミュニティと同様、ゲーマーも一枚岩ではない。そのため同研究の著者たちは、『Call of Duty』と『Minecraft』という2つの人気ゲームのコミュニティの差異に注目することにした。同論文では、人種差別やミソジニーといった反社会的行動との相関性は、『Minecraft』のファンよりも『Call of Duty』シリーズのファンのほうにより強く見いだされた。

「つまり、どんな人たちと共に多くの時間を過ごすかによって、コミュニティで差が出る可能性があるということです」とコワート博士。「必ずしもコンテンツと関連するのではなく、むしろ自分が入り込むコミュニティと関連すると私は考えています」

同論文の著者たちは、この研究を深読みしすぎることのないようすでに警告しており、さらなる研究の必要があると訴える。ゲームの影響は以前より注目されている話題であり、親たちをおびえさせようとするケーブルテレビのニュース番組や政治家によりしばしばセンセーショナルに取り上げられてきた。コワート博士はVICE Newsに対し、自らの研究が文脈から切り離され、ゲームコミュニティへの攻撃のために使用されることを常々心配していると語る。博士は、「すべてのゲームが悪だとか、すべてのゲーマーが過激派だと述べているわけではない」と明言する。

「ゲームはすばらしい場所であると私は思っています。ゲーム全体として与えてくれるものは、ネガティブな要素よりポジティブな要素のほうが多い」と博士。「大切なのは、ゲームがこのようなかたちで利用されているという議論をすることです。なぜなら、現状それが話題にされていないから。話題にしなければ、そういった状況を改善することもできません」