新着物件情報にリフォーム済のコカイン御殿

アレジャノ・フェリックス(Arellano Félix)ファミリーは家族経営の麻薬密売組織であり、一時期はメキシコ随一の勢力を誇る麻薬カルテルだった。7人の兄弟と4人の姉妹からなるフェリックス・ファミリーは、その絶頂期、米国向けのコカイン、マリファナ、ヘロイン、メタンフェタミン取引の大半を取り仕切っていた。そのファミリーが、メキシコ北部の都市、シナロア州クリアカンのミゲル・イダルゴ・イ・コスティージャ通りとテオフィロ・ノリス通りが交わる一角をヤサにしていた。そして、つい最近、麻薬御殿はリフォームを経て、賃貸物件として市場にお目見えした。

「この家は何年も放置されていました」と匿名希望の不動産仲介業者は教えてくれた。政府がアレジャノ・フェリックス・ファミリーの財産を押収した後、邸宅は売却され、リフォームされ、賃貸物件として復活した。不動産仲介業者によると、所有者はもともと、この1,022平方メートルの土地を学校にしようと計画したが、物件の過去を危惧した教育長官により、この計画は却下された。

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「教育施設化計画が頓挫した後、物件はセザール・タマヨ(Cesar Tamayo)という別の仲介業者に渡りました。その後、オーナーが物件を当社に引き渡したんです」

ファミリーは、拠点をティファナに移したが、組織の創設者はみなシナロア出身であり、麻薬王エル・チャポ(El Chapo)と共に育ち、そしてグアダラハラ・カルテルのメンバーとして、共に活躍していた。1980年代後半、カルテルのドン、ミゲル・アンヘル・フェリクス・ガジャルド(Miguel Ángel Félix Gallardo)が逮捕されると、グアダラハラ・カルテルは分裂した。エル・チャポとその仲間たちがシナロア・カルテルを形成すると、アレジャノ・フェリックスも、新たなカルテルを築いた。この分裂劇が、後々、クリアカンの街中で繰り広げられる流血の抗争へと発展した。1993年の枢機卿暗殺はこの抗争の一端であった、とすら噂されている。

2001年、エル・チャポが第一次脱獄に成功すると、抗争は激化した。アレジャノ・フェリックス・ファミリーは、政府とエル・チャポが結託し、ファミリーに不当な圧力をかけている、と不満を訴えた。2000年以降、アレジャノ・フェリックス兄弟のうち、最強と呼ばれた、ベンジャミン、フランシスコ・ハビエル、エドゥアルドが投獄され、もう一人の兄弟、ラモンは警察との銃撃戦で死亡した。

いい物件なんだけど過去が気になる、という契約希望者は、どうぞご安心を。ファミリーは抗争が泥沼になる前に引っ越していたので、消せる銃痕は消してあるし、消せない銃痕はない。

それはさておき、ここでは広々として、多様なスペースが多様な価格帯で利用可能だ。一階には、1平方メートルにつきたったの100ペソ(約590円)で、それぞれ約250平方メートルの商業用スペースがふたつ。2階は、割引価格の1平方メートル当たり85ペソ(約500円)で賃貸可能なスペースで、屋外には、螺旋階段とバルコニーがある。このバルコニーで、自動銃を構えた眼光の鋭いボディガードが睨みを効かせていたかも知れない。

ここでアントニオ・モンタナのような生活を送りたい、と思ったアナタには残念なお知らせ。賃貸目的は商用に限られている。なお、ドラッグ売買がビジネスとして営業を認められるか否かは、匿名仲介業社の連絡先を調べ、直接問い合わせてみてはどうだろう。