ガイ・ベセル(Guy Bethell)は、自分が趣味以上に料理を追求しようとは、かつて考えてもみなかった。彼の料理の腕は、修行を経て料理人となった彼の兄弟には及ばなかったからだ。
「私の料理は、極めてシンプルです」とべセルは説明する。「煮込みやスープ。兄弟が料理人なので、甘やかされてるんです」
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しかし彼は、自らのスタンスを改めつつある。ある体験で、料理人として前よりも少し自信がついたのだ。彼は、2017年11月にトロントで開催された、2日間限定レストラン〈June’s Eatery〉に参加した料理人14名のうちのひとりだった。June’s Eateryは、カナダ初、かつ現時点で国内唯一のHIV感染者/エイズ患者専用独立医院〈Casey House〉と、広告代理店〈Bensimon Byrne〉および〈Narrative〉が協力し、スタッフを全員HIV陽性者でそろえたカナダ初の期間限定レストランだ。彼らはプロの料理人ではない。日々の生活のなかでは飲食業界で働くチャンスがなく、趣味として料理を嗜んでいた素人だ。June’s Eateryが目指すのは、Casey Houseの〈Break Bread. Smash Stigma.(直訳:食事をしよう、スティグマを打ち砕こう)〉キャンペーンの一環として、食事を通してHIVをとりまく偏見を払拭することだ。
べセルは普段、州政府職員として働いており、そこはHIV陽性者でも比較的働きやすい職場だと感じているという。だが職場以外では、世間の無神経さにより実に不愉快な想いをしてきた。例えば初対面の相手に自らの病気を打ち明けると、それ以上親しくならずに終わってしまう。そういう経験は、彼の心をささくれ立てた。
「長いあいだ、世間の無知に苛立ちを覚えてきました」とベセルは彼を拒絶した人びとについて証言する。「だけどしばらくして、腑に落ちたんです。彼らの態度は、怖れから生まれている、と」
2017年10月にCasey Houseが実施した調査によると、HIVについての知識不足は実に根深い。その調査では、「HIV陽性者の料理人がつくったと知りながら、その料理を食べたりシェアしたりする」のは、カナダ人の(少なくとも調査対象者の)半分しかいないと明らかになっている。この病気は食事から感染しないにも拘わらず、だ。
「〈嫌うヤツは嫌う〉ですね」とトロントのフードカンパニー〈Fidel Gastro〉のシェフ、マット・バジル(Matt Basile)は調査の結果について解説する。「〈嫌うヤツ〉、つまり、科学や教育をなおざりにしている人びとによって、無知に根差した個人的な意見が力をもってしまう。HIVにまつわるあらゆるスティグマは、実際の証拠ではなく個人的な偏見に基づいているんです」
バジルは今回、素人料理人14名のリーダー役を任されていた。素人料理人たちのアイデアを、実現可能なかたちまで発展させるのも彼の仕事だ。その結果、充実した4品のコースメニューが出来上がった。まずはポテトとネギのタイ北部風スープ、在来作物のローストサラダ、ホッキョクイワナのパッパルデッレ、そしてニンニクと唐辛子で味つけしたブロッコリーラーブを添えた牛ハラミのグリルステーキ。さらにジンジャーブレッドのティラミスもついている。
「反響は予想を上回りました。2晩とも、すぐに料理が売り切れてしまい、感激しています」とCasey HouseのCEO、ジョアン・シモンズ(Joanne Simons)は、June’s Eateryの成功を喜ぶ。「14名のHIV陽性料理人と食事の時間をシェアすることで、交流が生まれたはずです」
しかし交流は、なかなか穏便には済まない。前述の研究結果を受けたシモンズは、今回のイベントのコンセプトが受け入れられるかだけでなく、そもそもお客さんが集まるのかもわからなかった。彼女の懸念を立証したのは、心無い世間の反応だった。「SNSのコメントは、まさにHIVをとりまく偏見を強調するような内容でした」とシモンズ。「でも、否定的なコメントが現れたら、早急にリプライして教育に努めました」
HIV陽性者の生活には、息の詰まるような偏見が遍在している。今回の期間限定レストランは、そういう偏見がない環境を長らく求めていたHIV陽性者にとって居心地の良い場所をつくる、という目的をかなえたはずだ。「食事は、最上級の愛の表現ですから」と説明するのはミキキ(Mikiki)、参加料理人のひとりだ。「もしできるなら、文字通り日がないち日、愛する誰かのために料理をして、お腹いっぱい食べさせてあげたいくらいです」
アーティストのミキキにとって、アートは天職だ。ミキキの作品では、食がテーマになることもある。アーティストのジョーダン・アーセノート(Jordan Arseneault)と共同で立ち上げたコミュニティ・アート・プロジェクト〈Disclosure Cookbook〉では、HIVとどう暮らすか、カミングアウトの問題、料理についての議論を織り交ぜていると教えてくれた。しかしJune’s Eateryへ参加して、自分のアートではなかなか実現できない方法で、自由を実感できたとミキキはいう。
「歴史的に、エイズの流行でいちばん甚大な被害を受けたのは、アーティストのコミュニティです。それでも、そこには多くのスティグマがあります」とミキキ。「アイデンティティや社会問題に根差したアートのオーディエンスは、アウトサイダーが多いです。まるで、自分が異端のマイノリティに語りかけているような気分になります。より広範なオーディエンスには届きません」。しかし、June’s Eateryに参加して、ミキキは、このレストランが巻き起こした世間での議論をきっかけに、社会問題への意識が高いアート、積極的に活動するアートについて、メインストリームのオーディエンスが考えられる空間が創設されることを願うようになった。
June’s Eateryに参加した14名の料理人は、これまで、趣味を越えて料理を追求しようと考えたこともあったという。しかし、HIV陽性者に付きまとう恥の意識に、彼らの夢は打ち砕かれてきた。自らの料理への情熱が、大勢の前でスポットライトに照らされることで、アーティスト、活動家としての矜持が膨らんだ、とミキキはJune’s Eateryについて証言する。ミキキはJune’s Eateryのおかげで、起業家的、経営者的視点でビジネスを考えるようになったそうだ。そして、これまで自ら押し込めざるを得なかった情熱を、心に抱き始めている。
「HIV陽性者につきまとうスティグマが、私の自己効力感を薄めてきました」とミキキ。「でも今回の経験は、大きな夢を追うモチベーションになりました。むしろHIVに感染する前よりも、大きな夢かもしれません。」