スマートフォンのおかげで、私たちは、困った状況に追い込まれた。このデバイスは、明らかに、人間を依存させるようつくられている。しかも、私たちは、日常の様々な活動や仕事をスマホに頼りきっているので、突然それが使えなくなったら、現代社会での居場所を失なってしまう。ヘロインを絶ったら、仕事のメールを確認できなくなるようなものだ。
スマホは、ユーザーの思考に影響を及ぼす。最近、『Journal of the Association for Consumer Research』に掲載された研究によると、「携帯電話を確認したくなる誘惑を退け、長時間集中力を保てたとしても、電話そのものが認知能力を低下させる」そうだ。
Videos by VICE
今さら、審査の厳しい学術誌に、脳ミソがダメになっている、と指摘してもらう必要もない。自分でもわかっている。私の脳は、粘土のようになってしまった。本物の粘土なら、文字情報の上を転がせば、それを写し取れるだけましだ。しかし、私の脳は、長年、スマホに催眠術をかけられ続けた結果、塗装用パテのようにすっかり干からびてしまった。
私は、スマホの誘惑に、そこまで溺れていないはずだ。Snapchatにハマるほど流行に敏感でもなければ、クイズアプリ、HQ Triviaで遊ぶほどの秀才でもない。既婚だからTinderで相手も探せない。私にとって、スマホの誘惑は、非常に限られている。だが、それは関係ないらしい。ふと気がつくと、スマホがスリープする前に何度も画面をタッチしたり、無意識にポケットから取り出したりもする。
スマホ依存症を治すにはどうすればいいのか? 私の利益を最優先してくれるはずのスマホに訊いてみた。
―スマホを見ないようにするには、どうすればいい?
―すみません、その質問にはお答えできません。
肌身離さず持ち歩き、眠りにつく直前、目覚めた直後に必ずチェックする。そんなスマホが私を液晶から遠ざける方法を答えられないとしたら、どこに助言を求めるべきか? 当然、App Storeだろう。
スマホ依存症治療を謳うスマホアプリは非常に多い。これこそ、〈火を以て火と戦う〉だ。消防士が火災現場に火炎放射器を持ちこむようなものだ。
まず、人気のiOS用効率化アプリForestを試してみた。使い方は、ボタンを押して、アプリ内で小さな木を植えるだけ。スマホから離れている時間が長いほど、木は大きく育つ。できるだけ木を大きくするのが、このアプリの目的だ。しかし、問題がある。私自身、この木がどうなろうと構わないのだ。私たちの世代は、たまごっちが餓死するのを笑って眺めながら育った。仮想世界の哀れな木も同じようなものだ。しかも、このアプリは、240円もする。なのに、評価は星5つ。どうやって、レビュワーが小さな木を育て、アプリを評価したのかは疑問だが、人生に不可能はないのだろう。
Forestでの失敗を経て、私は『New York Times』のアドバイスに従い、カラーフィルタをグレイスケールに設定した。普段の明るい画面で目が疲弊していたので、グレイスケールでかなり見やすくなった。もし、通常設定に戻さなければ、私は、ずっとスマホに釘づけだっただろう。
次に、スマホ依存度を知るため、Checkyをダウンロードした。おそらく、史上最悪のアプリだ。機能といえば、スマホの閲覧回数を表示するだけ。ペンとメモさえあれば済む。しかも、Checkyを使う場合は、バックグラウンドで動かし続けなければいけない。ユーザーの位置情報を絶えず記録しているのも胡散臭い。
Checkyは、スマホによって大衆を監視する用心棒のようなものだ。しかし、本物の用心棒と違って、喧嘩の仲裁、歩道の吐瀉物の処理はできない。本来の用途においてもまったく役に立たず、私からスマホを遠ざけてくれなかった。
Forestは、スマホを視界に入れないことを推奨したが、Checkyは、正反対だった。もし、誰もアプリを見ないことを想定していたら、プログラマーは、バナー広告のスペースをつくらなかったはずだ。今日の昼前にアプリを開いたところ、〈47〉と表示された。これは、Checkyをダウンロードしてから私がスマホを見た回数だ。熱心なゴルファーかサーファーでない限り、高スコアを獲得できるだろう。その45分後、再びアプリを開いて〈67〉という数字を見たとき、私は、誇らしい気分にすらなった。
つまり、アプリは、ユーザーの閲覧を促すために開発されているのだ。多くのアプリ開発者も、警鐘を鳴らしている。 Twitterの〈引っ張って更新(pull-to-refresh)〉機能を開発したローレン・ブリッター(Loren Brichter)は、『Guardian』に後悔を語った。「〈引っ張って更新〉もTwitterも、依存性があり、決して良いものではありません」
Facebookの〈いいね!〉ボタンを開発したエンジニアたちも、彼らの発明の危険性を率直に言明している。Googleの元デザイナー、トリスタン・ハリス(Tristan Harris)も、TEDに出演し、テクノロジーの心理社会的影響を解説した。ITの中心、シリコンバレーで、大勢のフランケンシュタイン博士は、自ら創りだした怪物が手術台を降りて街へ這い出す様子を、怖々と眺めている。「『フランケンシュタイン』の怪物はいいヤツだったじゃないか。ひどいのは人間だ!」と主張する読者もいるだろう。確かにその通りだ。しかし、私が中学で読んだ物語の細部やニュアンスは、何年もスマホを使い続けたおかげで、すっかり洗い流されてしまった。
新たなアプリを追加しても意味がなかったので、私は逆の方針を採った。頻繁に使うTwitter、Instagramのアプリを削除したのだ。しかし、結局、ラップトップを取り出し、何も考えずにブラウザを開いてSNSをスクロールしていた。しばらくして、パソコンを閉じると、今度は、長いあいだ忘れていたアプリが気になってしまった。旅行の計画もないのにホテルの評価を調べ、数年前にダウンロードして以来、まったく使っていなかったアプリで飼い犬の耳の汚れ具合を確認した。
私は、自分自身を解放して外の世界を楽しむどころか、ますますスマホにのめりこんでしまったのだ。これまで使わなかったアプリをいじくり、執拗に位置を追跡するCheckyを動かし続けた結果、すぐに充電が切れてしまった。昼過ぎには、終わりを告げる真っ赤な電池マークが点滅して、画面が真っ暗になった。
充電を我慢すれば、私は自由だった。スクロールもPokeも必要もない。ポケットのなかに、充電の切れたガジェットの重みを感じながら、私はドッグランに向かった。傾いた陽の光が地面に、長く美しい影を落としていた。もし、充電が切れていなかったら、建物のギザギザした輪郭など、気にも留めなかっただろう。鳥は、上空で隊列を組んで飛び、風に揺れる枝は、軋むような音を立てていた。
しかし、私は不安になった。「もし今、誰かがメッセージ送ってきたらどうしよう?」