自衛隊の危機03―憲法9条2項とアメリカ合衆国―

これまで〈不適切な人物たち〉が自衛隊に浸透している実態、そして、いわゆる〈ネトウヨ〉を招いた制服組の不満と焦りを紹介してきた。第3回では、彼らの発言を文官たちにぶつけたレポートを紹介する。そして、そのような事態が起きてしまう根幹の問題について考えてみたい。

第1回で〈不適切な人物たち〉が自衛隊に浸透している実態、第2回でいわゆる〈ネトウヨ〉にさえ、すがらなければならないほど混迷した状況と、制服たちの心象を記した。
今回はそれを踏まえて、制服組の不満と焦りを、文官たちにぶつけたレポートを紹介する。
そして、そのような事態が起きてしまう根幹の問題について考えてみたい。

前回記事の末尾で触れたように、匿名取材班Project Armyは、取材で得た〈制服たちの声〉を、防衛研究所をはじめとする自衛隊の各種学校で教鞭をとる複数の文官、文官教官、防衛省内局の背広たちに届け、彼らの見解を集めた。以下、制服たちの声を太字で表記し、その声に対する文官たちの反応を掲示する。

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ーー文官、文官教官や背広組は、靖国神社の遊就館や知覧特攻平和会館で、祖国を守るために殉じた先人を思い、涙をながす防大生や自衛官を見下している。

(文官A): 「遊就館でも知覧でも、祖国に殉じた先人の労苦を偲び、涙を流す者を見下すようなことは、絶対にない。ただし、その労苦のみに意識をとらわれ、犠牲的精神のみを賛美するような者に軍人たる資格、とくに将官たる資格はないと思う。
特別攻撃隊は、明らかに最悪の戦術であり、その戦術を求めざるを得なかった戦略も、もはや戦略といえるようなレベルのものではない。未曾有の敗戦を喫したという歴史的事実から振り返れば、旧日本軍の戦略・作戦・戦術は、致命的な欠陥を抱えていた。
軍人であれば、2度とそのような悲劇(敗戦)を引き起こさないために、過去の栄光ではなく失敗に目を向け、現在および将来起こり得る事態に対して、もっとも効果的な戦略・作戦・戦術を立案するための力を磨いてほしい。
その観点から見れば、遊就館および知覧特攻平和会館で展開される問題意識(≒歴史の認識)もまた、明らかに正確ではない」

ーー文官、文官教官や背広組は、そもそも軍人に敬意を払っていない。一例を上げれば、東郷平八郎は世界中の軍人から尊敬を集め、海外の士官学校の中には、東郷さんの胸像を展示しているところまである。ところが、日本の士官学校たる防衛大学校の資料館には、東郷さんの胸像どころか、遺品すら展示されていない。

(文官B): 「あらゆる意味で間違った言葉だ。そもそも、防衛大学校〔もっと大きな構造としていえば、日本政府〕は、旧軍と現在の自衛隊の連続性を公式には認めていない。次に、防衛大学校の資料館には、そのような遺物は置かれていないが、3自衛隊の資料館には、旧軍の遺物が展示されている。
東郷平八郎について教えることには反対しないし、実際、東郷の戦略、作戦および戦術についての教育は、防衛大学校および各種学校で教えられている。この意見がまったく許しがたいのは、まさにそのような〈個人の神格化〉こそが、旧軍の横暴を招いたという歴史の教訓に目をつむっていることだ。
東郷を、ある時点の特定の判断において名将だったと教えるのはやぶさかではない。ただし、それを教える際には、日本海海戦で〈名将〉になってしまった東郷平八郎が、後には加藤寛治らに担がれ、政党政治を崩壊させる統帥権干犯問題を引き起こす遠因になったことも、ぜったいに教えなければならない」

ーー先進諸国の士官学校に比べ、日本の士官学校たる防衛大学校では〈軍人を養成するための教育〉が少なすぎる。軍人でもない文官教官が幅をきかせている。防衛大の制服教官の比率は〔教官全体の〕20%を割り込んでいるが、世界の基準は〈7対3(文官教官70%/制服教官30%)〉。せめて、ここまでは制服教官の比率を上げるべきだ。

(文官C): 「まさか、制服たちが、そこまで驕っているとは思いませんでした。このままでは、自衛隊は大変なことになるかもしれません。現在、防衛大学校に関与している立場から申し上げると、現状より、制服教官の数を増やせないのは、文官教官が抵抗しているからではなく、制服教官のレベルが低すぎるからです。
防衛大学校は文科省所管の大学ではなく、防衛省が所管するただひとつの大学相当の学校ですが、学位授与機構(独立行政法人)の認可をうけているため、卒業生は4年制大学卒と同等の資格を得られます。
いわゆる文官(教官:講師/准教授/教授)は、軍人ではなく一般の研究者なので、他の大学で教鞭をとることもできる実績を有する学者です。他方、防衛省および自衛隊から派遣される制服が教官を務める分野が〈防衛学〉として括られる分野ですが、ここに大きな落とし穴があります。
いわゆる文官教官は、学生を教育するために招聘されますが、制服教官は〈学生教育への適性〉ではなく、単に、自衛隊および防衛省の〈人事の都合〉で防衛大学校教官に数年間だけ補職されるので、そもそも研究・教育者としての適性を欠いた人が少なくない。
その待遇にしても、文官教官の場合は教育現場、研究成果という実績によって〈講師/准教授/教授〉の立場が決まりますが、制服の場合は、自衛隊における階級が(陸自の場合)二等陸佐/三等陸佐なら〔防大補職で〕准教授、一等陸佐以上は教授と、自動的にスライドで決まります。もちろん、制服教官の中には、その地位に相応しい方もおられますが……。
1番問題なのは、部隊現場で問題のある人材を、一種の腰掛け、窓際族として防衛大学校に送り込んでくる場合があること。制服教官の数を増やすなら、まずは、防衛省(自衛隊)側が、防衛学を教えるに相応しい人材を防衛大学校に送るシステムを確立するのが先ではないでしょうか。
大きな声ではいえませんが、彼ら(防衛省/自衛隊ほか)は、学位授与機構の〈大きな審査〉が5年ごとなのを利用して、厄介払いの人材を出向させるときは、審査の谷間を狙って、人事を差配してくるのです。
これは制服だけでなく、防衛大学校に人を送り込んでいる他の省庁にもいえることです。たとえば、外務省は、過去に孫崎享氏を防衛大学校に送ってきました。彼はたしかに、外務省で国際情報局・局長まで務めましたが、いま、数々のトンデモ本を出版していることからもわかるように、現職時代の終盤は明らかに様子がおかしかった。2000年を過ぎてから、外務省が孫崎氏を教授として送り込んできたのは、どう考えても〈現場〉からの厄介払いでしょう」

また、制服の間からは〈現実離れした政教分離〉を問題だと指摘し、下記のように神道導入の観点から、ネトウヨ論客の招聘を消極的ではあれ評価する声も上がった。

ーー近代国家は政治と宗教を分離しているというが、軍隊においては必ずしもそうではない。米軍にはチャプレン(従軍聖職者)がおり、基地には教会が設置され、士官学校にも、軍からチャプレンが出向している。米国がキリスト教をバックボーンにしているのは自明で、同様に米軍の教育も〔形式上は、宗教多様性を掲げているが〕露骨にキリスト教を柱にしている。米国におけるキリスト教は、日本における神道および仏教だ。だが、自衛隊は〔公式には〕神道を拒絶している。防衛大学校も、キリスト教史(宗教文化史)を教えているのに、神道思想史がない。これは幹部候補生学校や幹部学校でも同様だ。自分は、吉木誉絵が適任者だとは思っていない。葦津珍彦さんの流れをくむ神道研究者が古事記をはじめとする古典の重要性と解釈を講義してくれることが望ましいが、むしろ、そのほうが〔政治問題化するという意味で〕現実的ではないのではないか。

(文官D): 「関係機関で神道をめぐる研究が盛んにならないのは、文官や文官教官の問題ではなく、背広組(防衛省のキャリア官僚)の問題でしょう。政治問題化するのを嫌がっているのは、彼らです。実際、2000年代に入ってすぐ、防衛研究所で、〔文官教官が〕1950年代に発生した〈隊内神社問題〉の研究者を呼ぼうとしたとき、内局からストップが掛かったと聞いています。
防大には、たしかに〈宗教文化史〉の授業はありますが、かならずしもキリスト教に特化しているわけではなく、神道史と仏教史については、日本史科目の中で触れています」

ーーあまりにも長い間、現場経験(実戦経験)から逃げ続けてきたため、防衛省および自衛隊のキャリア形成が〈硬直化したお勉強〉1本やりになってしまっている。中の人間ならわかると思うが、制服の出世は、ほとんど防大卒業時の成績、幹部候補生学校修了時の成績で決まっている。
その後の昇進には、ペーパー試験に合格することが定められているが、警察機構における警察庁のキャリアと同じように、最初の段階(防衛大学校/幹部候補生)でルートに乗った一握りのエリートは、その後も勉強時間を確保できるような任務だけが与えられ、逆に、あらかじめ出世できないよう定められた者たちは、任務に忙殺される(忙殺されるような任務につけられる)。公平性を欠いた組織だ。

(文官E): 「現時点で、自衛隊が一般的な軍隊でない以上、〈平時の競争〉でキャリアが左右されるのは仕方がない面もあると思います。しかし、この問題は、文官がどうこうできるものではありませんし……数字の観点から申し上げると、現在の自衛隊幹部の半分以上は、一般大学出身者および曹からの部内昇進者です。
現在の統合幕僚学校・校長の出口佳努氏(海将)は、岡山大学法学部の出身ですし、かつての統幕議長(現・統幕長)の栗栖弘臣氏(陸将)は、東大法学部出身でした。ただ、防大の卒業生が増えるにつれて、一般大学出身の最高幹部の数が減っているのは事実です」

(背広F): 「自衛官(武官)が大きなストレスを抱えている状況は理解しています。とはいえ、自衛官にはそのストレスに耐えてもらうしかないといいますか……これまでの記事(0102)を拝読すると、2つの問題が一緒くたに語られてしまっているように感じます。
ひとつは〈ネトウヨの浸透〉。これは、短期的に解決可能な問題ですし、ただちに手を打つ必要があると思います。他方、第2回で報じられた内容については、私個人としては、すこし偏った情報源に話を聞いているようにも感じましたが、こういった考え、ストレスを持つ方々が存在すること自体は把握しています。
記事では書かれていませんが、自衛隊員の中には、戦前からの流れをくむ純正右翼団体に出入りしている者、特殊作戦群の初代群長だった荒谷卓さん(現明治神宮・至誠館館長)と交際している者、チェチェン・ゲリラだった経歴をもつ在日チェチェン人と交際している者、元自衛官でフランス軍の外国人部隊に在籍していた者に個人的に教えを請うている者、アメリカ本国の部隊に所属する米兵と一緒に東南アジアに出掛け、個人的に訓練を受けたと目されている者などがいますが、彼らはいずれも、日常においては高い評価を受けている自衛隊員です。彼らは、戦後日本の〈国家の構造〉自体に不信感をもっているため、こちらのほうがより深刻な問題であろうと思います」

この背広によれば、第2回で報じた〈武官たちの危機感や意識〉は、戦後日本の〈国家の構造〉に発しているため、現状では、解決不可能な問題であるという。

――日本国は武装を解除されているので、【サンフランシスコ】平和条約の効力発生の時において、固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない/よって、日本国は平和条約が日本国とアメリカ合衆国の間に効力を生ずるのと同時に、効力を生ずべきアメリカ合衆国との安全保障条約を希望する。
これら【個別および集団的自衛権】の権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため、日本国内およびその附近に、アメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する――
【政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所/データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)より/原文の意味を損なわない範囲で、読点の位置と表記(漢字・かな)の変更を行っている】

(背広F):「旧日米安保条約に記されている言葉〈日本は軍隊を持たないので、米軍の駐留を希望する〉は、現在の(新)日米安保条約では削除されていますが、実質的な枠組みは変わっていません。〈憲法9条〉と〈自衛隊が軍隊ではないこと〉と〈米軍が日本に駐留すること〉は、相互補完的な関係にあります」

そうだとすれば、たとえば「自衛隊を軍隊化する」ことで、第2回で制服たちが主張しているような問題はおよそ解決に向かい、それとともに、在日米軍基地も大幅に削減されるのだろうか。

(背広F):「現実をみれば、憲法の改正手続きはハードルが高すぎるので、今後も削除は困難でしょう。それゆえ、安倍総理は〈9条2項存置+自衛隊の明記〉で、最初の改正を試みていますが、この改正も成功しないと思います。それに、もし、改正に成功したとすれば、自衛隊の置かれる立場は、さらに複雑で曖昧なものになってしまいます。
半世紀以上、〈憲法9条+自衛隊+日米安保条約〉でやってきたのですから、自衛隊をどれほど増強しても、軍事だけにとどまらない国際政治のリアリズムにおいてみれば、〈自主防衛/単独防衛〉への願望こそ日本を孤立化させる〈危険な幻想〉です。もし、自衛隊が〈軍隊〉になっても、外務省は間違いなく〈在日米軍の大幅削減〉には反対するでしょう。もちろん、防衛省も反対します。現在、自衛隊と米軍との関係はきわめて良好で、自衛隊員の多くは、米軍に信頼を寄せています。おかしな陰謀論者のようなことをいうつもりはありませんが、事実として、日本が米国抜きで、今の立場を保つことは難しい。
それを〈正しさ〉の観点からみれば、〈かならずしも正しくはない〉かもしれません。ですから自衛隊員、とくに自衛官のストレスはよくわかります。彼らは、現在の日本を〈独立国家〉とは考えていないのでしょう。国防のために身を捧げるつもりで、自衛隊員になったかたがたにとって、現在の状況はつらいものかもしれませんが、ただ、そのようなストレスを抱える自衛隊員は、ごく一部にとどまると確信しています。そのような人々のストレスは理解しますが、現状の憲法と自衛隊、日米同盟のセットで〈国家の構造〉をつくってきた以上、この問題は現状では解決できないものですし、受け止めてもらうしかありません。個人的には、そう思います」

この態度をクールと呼ぶべきなのか。若い背広からは、諦念か、悟りにも似た言葉が聞かれた。同じように、武官の中でも諦念に近い感情を口にした者がいる。

ーー結局、自衛隊は軍隊じゃないですか? 政府だって、国民だって、そう思っているのに、実際の運用の話になったら〈憲法9条2項〉で、すべての議論も行動も封殺される。それじゃあ、本当に必要なとき、いきなりは動けないですよ。私は命をかけるつもりですが、このままじゃあ……自信ないです。

この言葉を発したのが、誰あろう陸自が誇る完全秘匿の特殊部隊、特殊作戦群の現役隊員だという現実が突きつけるものは何か。もはや、文言通りの〈憲法9条2項〉が破綻していることは、すべての国民が知っている。にもかかわらず、自衛隊を〈軍隊化する(日のために必要な)議論〉を封殺し、忌避しているのは、多くの制服や文官、文官教官ではなく、まるでその議論を阻害するかのように〈不適切な人物たち〉を浸透させる一部の制服組、事なかれ主義の背広組、論点のずれたメディア、そして、平和ボケした政治家たちである。

このまま、枠組みだけの〈戦力不保持/交戦権の否認〉がゾンビにように生き残り、その空白を埋めるために〈不適切な論客を媒介とした誤れる軍人精神〉の注入が進めば、自衛隊は、旧軍の悪しき面に染まった組織になりかねないだろう。いま必要なのは、あらゆる政治的、マスメディア的制約(これも忖度だ)を取り払い、〈自衛隊≒軍隊〉の実質に沿った自由で慎重な研究議論を始めることではないか。

最後にもう一度、第2回の記事で紹介した将官OB(前出)の言葉を繰り返しておきたい。

もし万が一、憲法9条2項が削除されなかったとしても、あるいは現政権が掲げる加憲案(2項存置のまま、自衛隊を明記)が認められなかったとしても、窮迫の事態が発生した場合、自衛隊は一般の軍隊として運用される。

だとすれば、自衛隊は、やはり〈民主主義国家にふさわしい軍隊〉であるべきではないか。僕らは〈育てること〉から逃げるのではなく、その〈育てかた〉をこそ真剣に議論しなければならないのではないか。

次回以降、本連載に対する有識者、専門家の〈見解と指摘〉を随時掲載する。

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