まさか自分がヒトの腎臓の生きた細胞を注文して自宅に送ってもらうなんて、想像もしていなかった。しかしバイオハッカーのジョー・ザイナー(Jo Zayner)が提供する、自宅で受けられる遺伝子工学講座のことを知って世界が変わった。
長年DIYの科学実験を行なってきた先駆者の〈バイオハッカー〉、ジョー・ザイナーのことはご存じだろう。2019年に公開されたNetflix(ネットフリックス)のドキュメンタリーシリーズ『不自然淘汰:ゲノム編集がもたらす未来』にも登場した。本シリーズでザイナーは、遺伝子編集テクノロジーのCRISPR(クリスパー)を自らの身体に注射することでDNAの書き換えを試みていた。この行為には非難が殺到した。
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ザイナーは他にも、2020年に自家製DIY新型コロナワクチンの開発をしたり、自分自身に糞便移植を実施するなどといったさまざまな大胆な取り組みで知られている。
CRISPR技術へのアクセスの拡大を熱心に提唱するザイナーは、遺伝子工学の教育事業を行う企業The ODINを設立した。同社は〈ヒト細胞工学〉や〈DIY細菌遺伝子工学CRISPRキット〉などといった遺伝子操作キットや講座を販売している。
私が受講したのは〈ヒト組織培養・工学201〉。この講座は、HEK293(ヒト胚性腎臓細胞)のDNAに特定の遺伝子を注入して抗生物質への耐性をもった細胞にするという実験を通して、DNA編集の方法を学ぼうというものだ。
私は専門家ではないので、物議を醸しているザイナーのバイオハッキングについてどのような態度をとるか迷っていたが、編集可能な生きた腎細胞が郵便で届き、それを使って何かできると思ったら好奇心をそそられ、受講する以外の選択肢がなかった。それに少量の細胞の編集なら大したことではないと思われた。特に害はなさそうだ。
私が購入したおよそ800ドル(約10万6000円)のキットは、講座が始まる数日前に届いた。キットに入っていたのは、初心者用実験器具、〈バイオハッキングは犯罪じゃない〉ステッカー、待ち望んでいた腎細胞、そしてDNA編集に使用する色鮮やかな液体が入ったいくつかの小瓶。
その後ほどなくしてオンライン講座を受講した。ザイナーとそのパートナーたちは、レッドブルの缶をつぶしながら、家のシンクで腎臓モンスターが成長するという冗談を飛ばした。ピペット片手に私も笑ったが、マッドサイエンティストなのか、マッチとガソリンで遊ぶ赤ん坊なのか、自分がどちらの気分なのかよく分からなかった。
腎細胞のゲノム編集では、受講生たちがピペットを使って、変わった名前のさまざまな液体を細胞にかける。たとえば抗生物質への耐性をもつ遺伝子をコードするDNAを含んだプラスミド。私のお気に入りは、DNAを細胞に押し込む作用に関与する液体だ。
実験は料理本のレシピに従うのとは違う、というとウソになる。一時停止、巻き戻し、そして眉間にシワを寄せることをひたすら繰り返した。全力で取り組んだが、私の遺伝子編集実験は失敗に終わった。
私はこんな邪悪な考えにとりつかれはじめた。もし自分自身を実験台にして同じ作業を行なったら、自分のDNAを変えることができるのか? もし今回の実験同様失敗したら、その部分を切り落とすことになる。恐ろしい妄想だ。
もちろん講座では、受講生たちに自分のDNAを編集することは教えない。でも、可能ではあるのだろうか?「ヒトの細胞で実験ができるのであれば、一般的に人体での実験も可能です」とザイナーは述べた。
「その気ならば、必要な資材は現在すべて購入できます。臨床試験で使用されている資材、製薬会社が使っている資材と同じです。それを買って、自らの遺伝子を修正するために使用することができます」。購入のさいは「研究目的」と答えればいい、とザイナーは指南する。
「人間はもう、薬を飲むだけじゃない。そんな時代に突入している」
ザイナーはまずマウスを使った実験から始めるべきだと提案し、どこで資材を購入できるか教えてくれた。「これがこの講座の目的みたいなものです。技術を民主化することで、より多くのひとが試せるようになってほしい」
ザイナーとの会話でやる気を刺激されたが、リスクに無知なまま自分の遺伝子の編集をやりたいと思っても何から始めたらいいのかわからない。初心者としては、どの遺伝子を編集すればいいのか、またどのように安全に、そして効率的に資材を管理すればいいのかを知りたい。
遺伝子編集を試みるひとたちの多くが挫折するのは、この疑問に対する答えがGoogle検索では見つからないからだ。
FDA(米国食品医薬品局)の科学者によると、ザイナーのような人物が自宅でできる遺伝子治療法を開発したとしても、リスクは存在する。CRISPR治療はガンの原因となったり、本来の目的とは異なる意図しない作用が生じる可能性があるという指摘もある。自然環境の劣化、優生思想の広まり、バイオテロなどの危険性を憂慮する専門家もいる。ただ、ミネソタ大学の遺伝子工学専門家、デイヴィッド・ラーゲスパダ博士のように、異論を唱えるひとたちもいる。
「車を運転したり、服薬したり、ドラッグを使ったりといった、私たちが受け入れているあらゆるリスクと比べれば、個人にとっても社会にとってもリスクはごく僅かでしょう」と博士は語る。「その代わり、メリットは計り知れません。一般人がCRISPRを使用して、実際に大変なアクシデントが起きたことはありません。今のところすべて仮定のリスクなのです。CRISPRで自らに害を与えたり、農業や環境に危険を及ぼす害虫を生み出したり、他の問題を引き起こすひともいるかもしれません。しかし現状ではその可能性は低いでしょう」
医療においては、CRISPRを成人患者に使用した場合、前世代の遺伝子治療や遺伝子修正ツールよりもはるかに強力であるという初期兆候が示されている。しかし専門家によれば、CRISPRを使用して生きた人間を根本的に変化させることに関しては今のところまだ限界があるようだ。例えば、病気にかかった細胞を修正したり「直したり」するのは可能ではあるが、その修正した細胞が充分に分裂し、現存する未修正の細胞に確実に取って代わると保証することは現段階では不可能だ。とはいえ、科学者たちはいずれそれらの限界を超えることができると楽観している。
ザイナーのDIYキットや講座が示すように細胞編集ツールは入手可能ではあるが、まだ市場で売り出されてはいない。この情報とともに、答えの出せない疑問が次々と湧き上がる。命を脅かす病を抱えたひとびとがその治療を試みることは許されるべきか? 重篤な結果に直面する可能性があることを充分に承知しながら、それでも自らのゲノムにおいて危険な疾患を編集したり、自分自身の何かを変えたいと思うだろうか? そのリスクは自らが負うべきなのか?
「人間はもう、薬を飲むだけじゃない。医療問題を解決するためにヒトの遺伝子を操作する、そんな時代に突入しているんです」とザイナーは説明する。「そんな遺伝子の未来を支配するのは、誰であってほしいか。ひとびとに手が届くものであってほしいから、私たちは広く流通させたいんです」