55年学校に通い、30もの学位を取得した75歳からのアドバイス

彼のメッセージはシンプルだ。「すぐにやめるな」
55年学校に通い、30もの学位を取得した75歳からのアドバイス
Photo courtesy of Michael Nicholson

大学を愛する75歳(2016年の取材当時)のマイケル・ニコルソンは、これまで学士号×1、准学士号×2、修士号×23、専門職学位×3、博士号×1、計30もの学位を取得してきた。彼は55年ものあいだ学校に通った。2020年の新入生たちに送る、〈永遠の大学生〉からのアドバイス。

私は毎朝4時に起床し、3キロほど歩きます。みんなも朝4時に起きなさい、と言っているわけではありませんが、朝のルーティンをつくっておくといいですね。もし午前中の授業で寝てしまったら、失った時間の埋め合わせをするために駆けずり回らなくてはならないので。

私が神学校に通っていたときはシャツ、ネクタイ、スーツを着なくてはならなかったのですが、今はもう違います。教室でみる学生たちの姿は…正直なところ、面食らいますね。みんなだらしなくて、服の着方を知らないのか、と思います。私が授業を受けるときは、チノパンとカジュアルなボタンダウンシャツを着ています。Tシャツやジーンズ、ショートパンツ、サンダルは履きません。女の子たちはみんなそんな格好をしていますがね。50、60年前の女の子たちは、靴に靴下を合わせ、スカートやワンピースを着ていました。髪の毛もちゃんとまとめていました。

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今は、多くの学生が教室で、授業中に食事をしています。ランチを持ってきたり、ジュースや水のボトルを持ってきたり。みんな、パソコンといっしょに飲食物を広げています。楽しい時間を過ごしているようです。私はいつもいちばん後ろの席に座っているので、みんながパソコンで何を見ているかがわかるんです。教授たちがイライラする気持ちも理解できます。せっかく授業をして資料を配っているのに、学生たちは自分のパソコンで、まったく関係のないものを見ているのですから。私が若い頃は、そんなことするなんて考えもしませんでした。今はなんでもありですね。

私は55年、ずっと学校に通ってました。学校が好きだったんです。ちゃんと学位も取りましたし、そういう意味では、私は何かを成し遂げたといえるでしょう。学校にいるのに慣れていたし、可能な限り通い続けたいと思っていました。学べば学ぶほど、知りたいことが増えていくんです。次の年度からでもまた学校に通いたいと思っているくらいです。でも2年前から休んでます。医者から「寄る年波には抗えませんよ」と言われたので、今はそれに順応しようとしているところですね。

大学初年度は、どう人生を歩んでいくか決めてもいませんでした。だけど、何を知っておくべきかはなんとなくわかっていた。当時はデトロイト聖書学校(Detroit Bible College)に通っていて、毎年学長が、「すぐにやめるな」というメッセージを学生に送っていたんです。学長は、学生たちにちゃんと卒業してほしかったんですね。それは、私から若いひとたちへ送るメッセージでもあります。すぐにやめるな。

何を勉強するかは自由ですが、自分が本当に興味のあることを勉強するべきですね。そうじゃないと、途中で投げ出したくなります。大切なのは、学位を取得すること。そうすれば、大学院へ進むこともできますし、専攻とまったく関係のないキャリアをスタートすることもできます。私の妻もそうです。彼女は教職をとって、これまで教師をしたこともありますが、この37年はデータ処理の分野で働いています。

私が妻と出会ったのは、聖書学校の学生時代でした。それから私がダラスの神学校へ3年通っているあいだ、妻は大学に通うためデトロイトにいました。お互いに手紙をやりとりしたり、たまに電話で話したりしてましたね。私が大学3年から4年になるときに結婚しました。

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マイケル・ニコルソンと妻のシャロン。PHOTO COURTESY OF MICHAEL NICHOLSON

神学校でのプログラムがいちばん好きでした。そこで私は、学生であることを学んだと思います。ひとり故郷から離れた私は、自尊心とともに故郷に戻るために良い成績を収める必要があった。だから、提出期限の前夜から課題に手をつけるなんてことはありませんでした。期末レポートは期限の3週間前から始めていました。そこで私は立派な学生になったんだと思います。

ルームメイトとは仲良くなかったですね。彼はおしゃべりでとても感情的でしたが、私は物静かなほうなので。彼はあらゆる物事について、無尽蔵に話すタイプでした。でも彼がいてくれてありがたいこともありました。彼は私より2年先輩で、教科書や過去の課題を譲ってくれたんです。だから、もしルームメイトが好きじゃなくても、仲良くしておきましょう。彼らから得られるものもあります。

自分が黙っているだけで、他人からいろんなことが学べます。多くのひとは話したがるけど、私は相手の話を聞くんです。そうすると、相手は自分に注意を向けてくれます。そこで私は質問を投げかける。私は自分の知識すべてを相手に話そうとはしません。自分より相手のほうが知識を持っている場合が多いので。

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授業のときは他の学生から学びを得られます。彼らの価値観を知ることができます。彼らの出自、バックグラウンドを知り、彼らが授業に与えてくれるものを見つけましょう。そうすることで先生も、パソコンでノートをとらせるだけじゃなく、先生自身の体験を話すことができる。

大学に通う目的は、最終的にはもちろん仕事を得ることだと思いますが、自分の限界、視野を広げることでもあります。この世界で何が起きているかを学ぶんです。この世界はどう生まれたのか? 私たちはどこへ向かうのか? この地球上に暮らすひとびとはどのように関わり合っているのか?

教授の話すことに耳を傾けましょう。授業は教授のものなので、教授の話すことにむやみに反論しようとしないこと。もし教授の主張が絶対に違うと思うなら、教授と話してみてください。たとえば、私が刑事司法を専攻しているとき(30個目の学位です)、75ページ以上の卒業論文を書かなければいけなくて、私はその主題として宗教的刑事施設を選んだんです。キリスト教徒として育ってきたので。そのリサーチを進めるなかで、刑務所でキリスト教徒になった男性のことを知りました。私は彼が、ケネディ大統領暗殺事件の真犯人だと思っています。私は刑務所で服役中の彼を、この2年で2度訪問し、彼から計27通の手紙を受け取りました。

このことについて、担当教官とは何度も話をしました。ケネディ大統領暗殺事件について、私は「この事件はこんなふうに起こったと考えています」と伝えました。たとえば教授の主張について、「あなたは間違っている。あなたは何もわかっていない」と真っ向から否定したら、ケンカになってしまいます。ですが、「これが私の考えかたです。これがその証拠です」と教授に提示することができれば(私は証拠をちゃんと用意していました)、少なくとも議論をすることができる。

私はその論文の最後に、ケネディ暗殺についての自身の見解と、その犯人が刑務所内でキリスト教徒になったことを記し、担当教官の承認をもらいました。担当教官だけでなく、弁護士ひとりを含む、4人の博士が論文にサインをしてくれました。でもそのなかで私の主張に賛同するひとは誰もいませんでした。だけど私は、誰にも否定できない、みんなが納得するような主張をしたので大丈夫だったんです。私はそうやって教授とやりとりしてきました。

借金はゼロです。11歳のときにデトロイトの新聞の配達のバイトを始め、その仕事を11年続けました。月曜から日曜まで毎日大学内で新聞配達をして、最初の4年間の大学の学費を稼いだんです。もちろん、当時の大学の学費は今と比べると安かった。ですが、私は学費が払えず苦労したことはありません。大学で学びながら何度か教師として働いたりしましたし、ある大学では11年間、駐車違反を取り締まるスタッフとして働きました。働く場所は常に大学構内でしたね。

大学に4年通った場合の学生ローンの平均額は3万ドル(約330万円)です。それほどの価値があるのか、私にはわかりません。私は借金は怖いと思っています。だから誰にも借りをつくりたくない。もし誰かに何か借りをつくってしまったら、そのひとに支配されてしまう。ですが、だからと言って他にどうすればいいかはわかりません。今は働き口も減っています。たとえば、私は夏休みのバイトとして、何度か工場で働いたことがありますが、今じゃそういう仕事もありません。ある夏はクライスラーの工場で働きましたが、応募したらすぐ採用されました。1960年代の話です。今、同じバイトをしたいと思ったら、中国とか、違う国に行かなきゃいけないでしょう。

もし体調が許せば、他にも取りたい学位があります。私がみなさんにアドバイスを送るとしたら、「できるかぎり長く大学に留まれ」ってことですかね。

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This article originally appeared on VICE US.