90年代サンフランシスコの反骨レズビアンシーンをとらえた写真

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写真家クロエ・シャーマンは、アートスクールに通っていた90年代、サンフランシスコのレズビアン・クィアシーンの写真を撮り始めた。今や高額な家賃と清潔なTシャツを着たテック野郎たちで有名なこの街の、最後の自由を生き、呼吸していた日雇い労働者、クリエイター、反逆者たちの写真だ。

ありのままを切り取るシャーマンのポートレートに写るのは、車に乗ったりバーで飲んだりしながら、それぞれ大人への道を切り開く若きレズビアンやクィアたち。写真家のデル・ラグレイス(Del LaGrace)が撮影したロンドンのダイクシーンの写真にインスパイアされたシャーマンは、自らが生きるフェムとブッチ、そしてパンクスやスタッズの世界を撮影し、35mmのネガフィルムが壁一面の大きさの食器棚を埋めるほどの量になった。その中から厳選された写真が、サンフランシスコのシュルーマーハウス・ギャラリーで開催された展覧会「Renegade San Francisco: The 1990s」で展示された。

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ニューヨークで育ち、その後西海岸に拠点を移したシャーマン。彼女がVICEに、「Renegade San Francisco: The 1990s」の写真で記録したシーンの重要性を語る。

── 過去のレズビアンの姿を若い世代に提示することは、どれほど重要なことでしょうか? 
クロエ・シャーマン:
私がアーティストとして写真に取り組むようになったのは、自分のコミュニティを提示したいという気持ちがあったから。でも振り返ってみると、クィアの歴史としてかなりのパワーをもっています。他のひとたちにとっても、自分の青春時代や自由、そして経験を思い出すきっかけになるはず。クィアの歴史を理解し共有することは、新しい世代にひとつの経験を授けるのと同じです。それは彼らにとって、共感、マネ、あるいは反逆の対象になる。このコミュニティは、大きな傘の絵の下に集ったひとつの大家族。それは最先端で、反抗的で、ぶっとんでいた。今、私たちが知るものを築き上げた数々の道筋のひとつだったのかもしれません。

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家で過ごすアンナ・ジョイ、1997年。PHOTO: CHLOE SHERMAN

── レズビアンカルチャーの記録、祝福は充分になされていると思いますか?
プライドに関してはシニカルな態度をとりはじめた仲間もいるけど、個人的にはその重要性は感じています。世界的に見ると特に。都会のバブルのなかで暮らしている私はかなり恵まれています。誰もがこのレベルの自由を享受できるわけじゃないので。LGBTQIAや女性が経営するビジネスを支援するのも大切です。芸術や執筆、それに書籍や出版も、私たちの存在や人間としての想いを記録することができるアートフォーム。みんながつくるコミュニティに参加することも大事です。

 ── 当時のシーンはどんな感じでしたか?
あまりいい時代じゃなかった、という仲間もいます。ただ、私は自分の経験からしか語れないけど、ポートランドやシアトルのriot grrrl(ライオットガール)みたいに、90年代のサンフランシスコはかなり重要だったと思います。家賃は安かったし。今の時代と比べたら特にそう。だから若いクィアやはみだし者、アーティスト、自由人たちは、誰にも縛られないために、そして出会いを求めてサンフランシスコに集まった。ミッション地区にはバーやクラブ、タトゥーショップ、ギャラリー、カフェ、バイク便の会社、書店、女性が経営するビジネスにあふれてた。それと合わせて、フェミニズムの新しい波がジェンダーベンディングやブッチ/フェムカルチャーを後押ししていた。

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強盗、1996年。PHOTO: CHLOE SHERMAN

── 家賃の安さは大きな要因ですよね。自分の居場所を見つけるためには大都市に行くべきだけれど、今や大都市はその物価の高さにより若者たちが住めない場所になっている。当時のサンフランシスコでは、生きるためにどんな仕事をする必要がありましたか?
当時は大きなクィア経営の団体や倉庫、レインボー・グロサリーという健康食品の協同組合、バイク便、ストリップなどがありました。多くのひとびとが若く、学生だったりバンドをやっていたりして、別のスケジュールを求めていた。階級は本当に多様でした。家出した子もいればホームレスの子もいたし、裕福な家の出身だけど勘当されたひともいました。

── 今のレズビアンと当時のレズビアンの最大の違いって何でしょう?
当時の私たちは、場所も時代も特別だとわかっていました。だけど当時の方が、ライフラインとしての共同体の支援へのニーズが今よりもはるかに高かったかもしれません。今はゲイ、トランス、クィアのカムアウトはより普通のことになっています。だからといって、誰もがより安全だと思える場所に移住するための手段や資金をもっているわけではないし、簡単ではない場合もある。女性やLGBTQIAの権利に対して保守的な法律が可決されている今は、本当に不安ですね。一瞬で、抑圧的で危険な場所へと逆戻りしてしまいそう。だからこそコミュニティが大切なんです。みんなと会って楽しめる場所、自分らしくいられる場所、クリエイティブでいられる場所が必要だから。

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ハリーとシャナ、1997年。PHOTO: CHLOE SHERMAN

── ブッチとフェムは、あなたの作品において大きな役割を果たしています。このダイナミクスや美学というのは、当時どれほど重要な意味をもっていましたか?
確かにブッチ/フェムをテーマにしているけどそれだけじゃありません。サンフランシスコは夜は極寒、昼は暑く、霧も多いので、みんなコンバットブーツ、レザージャケット、キーチェーンみたいな、全部身につける格好でそこかしこを歩いたりバイクに乗ったりしてるんです。

90年代の若者は、マスキュリニティを感じさせる何らかの要素を選んだら非難されるような80年代のウーマン・リブ運動とは距離を置いていました。それはジェンダーベンディングやブッチ/フェム、トランスを支持する世代、ジェンダーアイデンティティについてのルールを破ることを求める世代に限定されているように感じられた。反乱は起きたけれど、振り返ってみるとそれは次のステップを可能とするためにたくさんの辛酸をなめてきた何世代ものひとたちへの感謝の表明でした。だから今の若者たちが過去を見つめ、それがどれほど長いこと存在してきたのかを知ることが大切なんです。小さな町に住んでいて、自分が最初のクィアだと感じるかもしれないけれど、周りを見渡してみれば25〜30年前からいたんだと気づくんです。

@sophwilkinson

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アミータとサニー。PHOTO: CHLOE SHERMAN
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砂漠のエリトリア、1998年。PHOTO: CHLOE SHERMAN
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エイジアの部屋、1996年。PHOTO: CHLOE SHERMAN
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マチコとティエンジェン。HOLE IN THE WALLにて、1999年。PHOTO: CHLOE SHERMAN
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後部座席からの景色。サンフランシスコ、1997年。PHOTO: CHLOE SHERMAN
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サイラスとキーロン、1994年。PHOTO: CHLOE SHERMAN
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ミッション地区、サンフランシスコ、1996年。PHOTO: CHLOE SHERMAN