*この記事は、英国の屠殺場について書かれた内容となっています。
〈屠殺場で働く36歳のブラッド氏は語る〉
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病院に独特のにおいがあるように、屠殺場にも、独特の生暖かい血のにおいが漂っている。空気には常に鉄分が含まれており、漂泊してもにおいは消えない。
出勤初日に辞めてしまったり、震えあがって逃げ帰る新人が絶えない、という噂を耳にしたことがあるかもしれない。しかし、大勢は仕事の内容をよく理解している。生活のために命を奪う過酷な仕事だが、屠殺場の同僚たちは誠実な人間ばかりだ。私は、イングランド北西部の湖水地方で育ったから、生まれてからずっと狩りをしてきたし、自分の農場でも動物を屠殺していた。仕事は朝4時半から昼の2時まで。早く始まり早く終わるので、私には合っている。
屠殺場は、クリーンゾーンとダーティーゾーンという、ふたつの区域に分けられる。動物はまずダーティーゾーンに運ばれ、食用に加工される。ここでは流れ作業により、内臓、毛、皮が取り除かれる。
最初は電気ショックだ。昔は、家畜銃で牛を屠殺していた。ショットガンの銃身のような見た目で、牛の額に当てて撃つとボルトが飛び出し、ゆっくりと脳に入っていく。牛も状況をわかっているため、死ぬほど怖がる。これは、20年前の恐ろしい話であって、現在では規制により、状況はずいぶんと改善した。屠殺前に動物にストレスを与えるのは最悪だ。肉を台無しにしてしまうし、メリットはひとつもない。今では感電死させるから、動物が味わう苦痛は最小限で済む。
次は肉を切り裂き、血抜きする。牛やブタくらいの大きさの動物は、完全に血を抜くのに4~5時間かかる。そのあとは1番汚れる仕事が待っている。はらわたを全て取り出して、汚染廃棄物として処理するのだ。この工程では、そこらじゅうが内臓だらけになる。次に毛皮を剥がして、肉を小さく切り、袋詰めする。もしこれが人間の食べ物ではなく、キャットフードかドッグフードだったら規制も変わるだろう。もっと合理化できるし、適当でも許されるはずだ。
私は機械の修理を担当していたが、そのときは気が滅入りそうになった。牛1頭を真二つに切れる巨大なノコギリもあったが、なかでもブタの脱毛器は、何度も修理が必要だった。血抜きが終わったブタを、刃の鈍いチーズおろし器のような円柱型の機械に入れる。このなかでブタは回転し、細い毛が取り除かれる。ブタの体は90~120センチの高さまで飛び跳ね、機械には相当な負荷がかかるため、機械はよく故障していた。油脂や肉片がこびりつくので、修理のときに溶接したり熱したりすると、腐ったベーコン・サンドイッチのようなにおいが漂ってきた。失神しそうに強烈なにおいだった。
そのいっぽう、クリーンゾーンの衛生管理は徹底している。屠殺場では定期検査があるので、胡魔化しはいっさい通用しない。こんなに掃除ばかりする職場は、他にないだろう。
残酷な印象かもしれないが、他の職場のように、同僚と、お互いをからかったり、仕事にまつわる冗談を交わしたりもする。同僚の弁当箱に牛の舌を入れたりもする。
2000年代に口蹄疫が流行すると、英国の農業と観光業は大きな打撃を受けた。大勢の労働者が失業したが、私たちの大半は農場で牛の処分を手伝い、かなりの金額を受け取っていた。1日に300~400頭も屠殺する日が何週間も続いた。当時、私は牛を燃やす担当だった。ウイルスを完全に死滅させるには、焼却処理するしかなかったのだ。折り重なった死体が燃え上がり、真っ黒な酸性の煙とバーベキューのようなにおいが立ち込めた。火が消えていないか、何度も確かめなければいけなかったが、ほとんどの人は泣き出してしまい、その場にいられなかった。
この時期は家畜銃も使っていた。1日50余頭が新たに感染するため、処分が追い付かなくなったからだ。牛もバカではない。家畜銃の音が聞こえたとき、こう考えていたかもしれない。「僕の友達はみんなカーテンの向こうに連れていかれ、撃たれるんだ」。口蹄疫が進行すると牛は神経系を侵され、後ろ足を動かせなくなるため、歩けなくなってしまう。だから殺処分する場所まで運ばなければいけなかった。
畜産農家やその家族にとっても、ショックは大きかった。動物という財産を失い、たったひと晩で破産にも追い込まれた。仕事を終えて帰宅するたびに、自分がウイルスを運んでいないかと不安になった。もし自分の農場にまき散らしていたら?
私たちは国内の数千の農場を救ったが、人にとっても動物にとっても最悪の状況だった。毎日屠殺場で働いていても、あれほど多くの死を目の当たりにすることはない。もう二度とあんな目に遭いたくない。
実際のところ、私はとてもやりがいのある仕事だと思っている。出勤し、動物を殺し、解体する。そして食べる。化学物質も保存料も使っていない肉だ。最大の問題は、食べ物がどこから来るのか誰も知らない状況だ。誰も過程について考えようとしない。今の時代、食べ物はいつでも簡単に手に入る。生きた牛からどうやって乳を絞り、生きた牛をどうやって食肉として加工するのか、誰も真実を知らない。誰も私に興味なんてないだろうし、私の仕事内容ついて考えもしない。